2016年12月29日木曜日

九份 (Jiuifen, jiǔ fèn , ジューフン) ★★★



九份までの道すがら、話好きと思われるタクシーの運転手のおじさんが、この町の概略を説明してくれる。金が採掘できるということで、日本による統治時代、多くの日本人が金を目指してこの町に集まり、開発をしたために、この街は日本人によってつくられたんだと。そして金の採掘量が低下するによって、徐々に寂れていったが、映画「悲情城市 (A City of Sadness)」の舞台となり、レトロな雰囲気を残す街並みが人気を博し、今では週末になれば動けないほどの人が押し寄せるほどなんだと。

年の瀬も迫った本日も、とんでもない数の観光客がこの街に足を運んでいるようで、 メインストリートとなっている老街の入り口近くで下ろしてもらい、東京のラッシュアワーの様になっている老街を、人の波を掻き分けるようにして必死に進む。

途中で何度も心が折れそうになりながらも、なんとか道を抜け、湯婆婆の館のモデルになったとも言われる茶屋の前で写真を撮ろうとする若者が引き起こす渋滞に何とかすり抜けながら、少し脇にポツンと位置する小さな茶館にたどり着く。妻が見てみたいという茶器を売っているお店で、せっかくだからとお茶をいただきながら、闇に沈み始めた外の風景を眺めながら一息つくことに。

帰りはメインストリートを避け、裏道でショートカットして、タクシーと合流し、次はもう少し人の少ない時に再訪してみたいものだと思いながら、ウトウトしながら「そういえば、十分と九份のフンはなぜ同じ字じゃないのだろう」と考えつつ台北へと戻ることにする。   










十分(Shifen, shí fēn, シーフン) ★★



ホテルにチェックインし、とりあえず近くの食堂でお腹を満たし、すぐに車を手配して向かうのは、台北から東に一時間ちょっといった 十分(Shifen, shí fēn, シーフン)  。 日本では映画「 千と千尋の神隠し」の舞台のもとになったと言われる九份が有名だが、そのちょっと手前にあるこの十分もまた人気の観光地だということで、せっかくだから立ち寄ることに。

ローカル電車でもアクセスできるということで、更にその線路が街中を通る為に、多くの人が電車の来ない線路の上を歩いてしまうなんとものんびりした風景を楽しめる。そして多くの観光客の目的になっているのは、本来なら中華新年の旧正月にこの地で行われる「平渓天燈祭」。大きな天燈(天灯,てんとう,テンダン)に願いを書いて、熱気球と同じ原理で燃料に火をつけ、その熱で温められた内部の空気がそのままランタンを空高く舞い上げるというものであり、電車の来ない線路のあちこちで、墨で書かれた願いが次々に舞い上げられていく景色はやはり息を呑む。タイのチェンマイでも、同様な祭りが行われて有名であるが、そうして考えてみると、台湾とタイの地理的距離の近さと、同じ慣習を保っていることに改めて気がつかされる。

「風でロウソクの炎が紙に移ったり、落ちて近くの民家に火が移ったりしないのだろうか・・・?」と少々心配になりながら、車へと戻り、次の九份へ向かうことにする。







台北(臺北,Taipei,Tái běi)★★★

行ってそうだが今まで縁がなかった台湾。年末年始、正月感もなく、地獄のような大気汚染に覆われた北京からしばしでも逃げ出そうと、年末年始を過ごすために向かった台北(臺北,Taipei,Tái běi)。

昨日までの気の滅入るような酷い大気汚染のせいで、数多くのフライトがキャンセルになったと聞いて、「せめて飛んでくれれば・・・」と願いながら迎えた朝は、拍子抜けするくらい普通の空模様。定刻に飛び立った飛行機は3時間ほどで台北西部の空港に到着。

海の向こうの次期大統領が例のツイッターで好き放題やるように、世の中の誰もが思うとおりに発言することができるほど世の中は寛容ではなく、様々な気遣いをしながらネット空間でも生きていかなければならないようで、「一つ」か「二つ」かと揺さぶられるこの台湾でどんな年越しを過ごせるのか楽しみにしながら入国審査へと向かう。

驚いたことに、入国審査も外国人用に多くのゲートを用意し、できるだけ長く待たないようにするという心遣いが感じられ、どんなに長く列が出来ていようとも、お構い無しに数人のゲートで作業を続ける大陸のやり方とはまったく違うやり方のお陰で、ストレスを感じることなくあっさり入国。

「これはひょっとしてかなり違うんじゃないか・・・」と思いながら、非常にスムースに荷物を受け取り、とても丁寧な説明を英語で行ってくれるwifiルーターの貸し出しを受け、列に並んで市内までのバスのチケットを買い、周囲の迷惑を考えず大声で話す人々も、そこらじゅうで痰を吐く人もいなく、皆整然と乗り口でバスを待ち、定刻にやってくるバスに乗り込み市内へと。

「ひょっとして・・・」との思いはますます強くなり、古き良き東洋の雰囲気を味わうことを楽しみに、市内までバスで揺られることにする。



2016年12月16日金曜日

「働かないアリに意義がある」 長谷川英祐 2010 ★★★


長谷川英祐
ハチやアリに代表される「コロニー」と呼ばれる群れを成して、それ全体がまるで一つの生物の様にして活動する特殊な集団特性を持つ生物を「真社会性生物」という。

個別の視線で見たら、決して生存に有利に働かないのにもかかわらず、コロニーという全体で見ると種の繁栄にプラスに働く「利他行動」を取ることが、真社会生物とその他の社会生物を区別する点である。

働き者と言われるアリのコロニーをよく観察してみると、いつも働いているアリがいる一方で、ほとんど働かないアリが見つかる。なぜ彼らは何もしないのか?なぜ何もしない彼らを必死に働いているアリたちが文句を言ったり、コロニーから追い出したりしないのか?

「個」の視点から考えていても決して辿りつかないその答えは、アリにとっては「個」よりもより重要なもの、つまり「コロニー」をいかに次の世代に残していくかの方が、より社会にとって重要であるから。

そしてその為に、皆が皆、いつも必死に限界まで働いている状態よりも、常に集団の中に余力を残し、想定外のことが起きたときに対応できるようにしていくことの方が、より「群」として生存率が高くなることを、アリはその遺伝子レベルで理解しているということ。

そして集団の中に、仕事をするアリと、しないアリ。それらのサボっているように見えるアリも、ある一定のレベルを超えた仕事量がコロニー全体に降りかかると、突然働くようになるという性質、「反応閾値」=「仕事にたいする腰の軽さの個体差」を持つことで可能としている。

守備の上手い選手ばかりや、足の速い選手ばかり集めても強いチームができないように、多様性がチーム全体の力をあげるのに役立つように、人間社会においても職業人として基本的な能力は保持しつつも、多様な個性の集合体の方が組織として強くなるということ。

皆が皆、性善説に沿うようにまっすぐに原理原則に従うのが社会ではなく、個が貢献してコストを負担することで回る社会があれば、今度はそのシステムを利用して、社会的コストの負担をせずに自らの利益だけをむさぼる「裏切り行為」を行う「フリーライダー」。が出現するのはヒトもアリでも同じこと。

不公平に思えるサボる社員もひょっとして、より高次の視線から見ると、長期的な組織の存続に何かしら寄与しているのかも・・・と期待を込めて観察してみるが、やはり疑問符だけが心の中に残るだけ。

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■目次  
序章 ヒトの社会、ムシの社会
第1章 7割のアリは休んでる
第2章 働かないアリはなぜ存在するのか?
第3章 なんで他人のために働くの?
第4章 自分がよければ
第5章 「群れ」か「個」か、それが問題だ
終章 その進化はなんのため?
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2016年11月10日木曜日

「王様のためのホログラム」 トム・ティクヴァ 2016 ★★


パリからの帰りの飛行機の中で、気になって観てみた一本。リストラされたトム・ハンクスが、なんだか怪しい技術を売りにするIT会社に再就職し、社運を賭けた大事業として、その技術を中東の盟主・サウジアラビアの国王に売り込みに行くために現地へと赴くという物語。

娘の養育費を払うためになんとしてもこの商談をうまくまとめたいハンクスであるが、現地オフィスは砂漠の真ん中で、Wifiも何も通ってなく、仕事どころではない状態からの開始。赴任しているスタッフから文句を言われ、サウジサイドに仕事環境の整備を折衷しにいくが、受付の女性からは「担当者にいつ会えるか分かりません」と、少しも申し訳なさそうにあっさり言われてしまう。何とか担当者まで辿りつき、「どうにかする」と言質を取っても、いっこうに改善せず、「どうなってるんだ?」の繰り返し。

それとは好対照に宿泊するのは豪華なホテル。しかし、そこから商談相手がいる街までは、車で砂漠の中を1時間以上走らないといけないという交通の不便さ。しょうがないので、おしゃべりで適当な地元のタクシードライバーを雇い、毎日行き来するうちに、現地の習慣を少しずつ教わることになる。

いったいいつ王に会えるかも知らされず、その状態が続くことが何の問題でもないというサウジ側の態度も重なって、ストレスからイライラが募るハンクス。いつになったら帰国できるのかも分からず、本社からは早く結果を出せとプレッシャーを与えられ、ついに身体を壊してしまい訪れた病院で出会う、同じく中年の域に達した現地の美人女医。

シャープでプライドの高いその女医とのやり取りを通し、徐々にこの国の常識を理解するのと同時に、今までの自分の考え方がいかに一側面しか見ていないものだったかと気がつき始めるのと同時に、案の定生き方に迷った中年同士として、二人は惹かれあっていく。

というような流れであるが、それにしてもこのサウジアラビアという国。この映画で描かれる様であれば、なんとも適当で、独自の価値観が非常に強い国柄のようである。このような国で仕事をすることになれば、きっと大変なのだろうと思わずにいられない。

トム・ティクバ(Tom Tykwer)
トム・ハンクス(Tom Hanks)













ピカソ美術館(Musée Picasso) ロラン・シムネ 1985 ★



朝から歩き回り、ポンピドゥー・センターを見終えてそろそろ午後の打ち合わせの為にホテルに戻ろうかと思うが、せっかくだから少し足を伸ばして新しくなったというピカソ美術館(Musée Picasso)も観ていこうかと欲がでる。

相当脚に疲れがたまっているが、せっかくのパリだからと西に向かってマレ地区と呼ばれるお洒落な雰囲気漂う3区へと入っていく。ピカソ美術館といえば、バルセロナにもあるのが有名であるが、こちらパリのものは、1973年のピカソの死去後、その遺族が膨大な相続税の為に物納した作品を中心として、ピカソが長く滞在したこのパリにてぜひとも美術館をと計画されたものである。

建物としては新たに建設されたのではなく、元々は1659年に建築家ジャン・ド・ブイエによって設計された邸宅をパリ市が買い取り、それをピカソ美術館として改修することが決まり、コンペが行われ、その結果建築家のロラン・シムネが設計を担当することになり、1985年開館となる。

およそ25周年にあたる2009年に更なる改修が行われることになり、その期間を利用して膨大なコレクションは世界中を巡回展として巡り、世界中でピカソ展が開催されていたのも記憶に新しいはず。改修工事は結局2014年までかかり、その10月にやっとリニューアルオープンを迎えたというわけで、まだ2年ほどの歳月しかたっていないことになる。

展示は「ピカソとジャコメッティ」として同年代を生きた二人のアーティストの作品を様々な角度で比較しながら、相互作品への理解を深める内容となっている。

それにしてもこの美術館。元々邸宅ということもあり、かなりの制限があるのはしょうがないんのであるが、現代のようにこれだけ多くの人が訪れる場所として、狭い部屋を次々へと巡り、階段を何度ものぼり、最後はいったいいつ終わるのか分からないという不安にかられる狭い階段室を一気に何回分も降りなければならないという、動線という美術館においては楽しみに一つでもある重要な要素に非常に大きなしわ寄せが来てしまっている、そんな印象を受けつつも、やはりこれだけ大量に同年代のアーティストの作品を見比べると、ピカソの突出した感性に圧倒されずにいられないと思いながら、ホテルへと帰路に着くことにする。


パリ3区