2014年2月27日木曜日

伝染するストレス

緊張感のある日常を過ごしていると、常にストレスを抱えて過ごすことになる。

元来胃腸の弱い自分は、常に腹痛とうまく付き合っていかなければいけないが、少しでも過剰な負荷、ストレスや疲労が溜まるとすぐにお腹の具合が悪くなりトイレに駆け込む事になる。

この現代の悪者であるストレス。どうやら人によってはそれを自分でうまく処理できず、周囲の人にぶつけてしまう事があるようである。そしてそのストレスは人を関して伝染してしまうこともある。

問題なのは人にストレスを伝染させても、その人のストレスの量は減らない。なのに親切心でストレスをうつされてしまったしまった人は不必要なストレスを自分で処理しないといけなくなる。

せめてうつした側がそれに自覚的になってくれればいいのだが、得てしてそういう人は気を遣えない。非常に困ったことである。

2014年2月26日水曜日

欧米スタンダードの生活を求めてくる外国人

幾つものプロジェクトの締切りが同時に迫っている。それぞれのチームメンバーがストレスと疲労を抱えて時間を過ごす。オフィスに長い事在籍しているスタッフは締め切りを控えたプロジェクトがどの様なスピード感覚で進んでいくか、どの様にしてデザインを落とし込んでいくか、どのようにしてプレゼン資料を纏めていくのかをある程度理解している。

が、比較的新しくオフィスに来たメンバーは、ここでどの様に物事が進んでいくのか分からない中で、緊張感を持った時間を過ごすことになり、周りの見えない暗闇の中で手探りで歩くように余分な疲労を感じやすい。

そんな環境の中では、「このような短い時間では思うように設計ができない」ということを言ってくるスタッフが出てくる。

そういう言葉を耳にするたびに思うのが、欧米のしかもかなり恵まれた環境の設計事務所でのスタンダードを求めてこの中国にやってきている外国人がかなりいるということである。

先進国と呼ばれる国の建築家達からは「どうせ中国だから・・・」と呼ばれながら、そういうフィルターをかけることで本当に何が起こっているのかを見えなくしてしまう環境の中で、それでも必死にできることとを伸ばし、新しい建築の可能性を見出そうとし、ドロドロになりながら時間を過ごす者がいる。

この国で何を得るのか、そしてその為には何を犠牲にしなければいけないのか。

他の場所では手がける事ができない面白い可能性を秘めた建築プロジェクト。それに関与できることは、その代償として何を求めるのか。

一つのプロジェクトが安定した状態を保ち、建築家が望むような十分なスタディを行う時間を与えられるような環境がどこで得られると思うのか。夕方になればオフィスでワインでも開けて、皆でプロジェクトについて議論をする。そんな夢の中のスイスの建築事務所の様な時間の過ごし方ができると思うのか。

できないのは、時間の短さのせいではなく、自らの能力不足の為だとは思わないのだろうかと、不思議に思ってしまう。大学を出て数年の実務経験で、いきなり常識の違う国に来て働こうというのに、根拠の見えない自分の常識を押し付けようとするその身振りには、大国の身勝手さを感じないわけにはいかない。

グローバル化の進んだ建築業界。そこで求められる人材となるためには、まずは他人は自分と違う事を認識する、文化人類学の基礎をしっかり理解し、そして違う国には違う国の物事の進め方があり、自分に必要な事はその枠組みの中でも必要とされる、求められるだけの職業人としての能力を高める事ではないだろうか。

2014年2月23日日曜日

コンサート 「Gürzenich Orchestra Cologne Concert」 NCPA 2013 ★★

久しぶりのコンサート。妻と一緒に早めの夕食を済ませ、スクーターでオペラハウスへ。いつも通りメンター夫妻と合流し、互いの席を確認する。

今回のオーケストラはドイツのケルンを拠点とするギュルツェニヒ管弦楽団(Gürzenich Orchestra Köln)。そしてそれを率いるのは指揮者のマークス・ステンツ (Markus Stenz)。

そして今回のゲストは、ドイツのクラリネット奏者であるザビーネ・マイヤー(Sabine Meyer)。1959年生まれというから現在55歳。とてもそうは見えない若々しさ。音楽家には我々と違った時間が流れているのだろうと想像する。

プログラムはザビーネ・マイヤーをゲストとして招いた前半にアマデウス・モーツァルト( Amadeus Mozart)作曲の『クラリネット協奏曲イ長調K.622』(Clarinet Concerto in A major, K. 622)。

Clarinet Concerto in A major, K. 622 Wolfgang Amadeus Mozart
  1. Allegro  
  2. Adagio  
  3. Rondo: Allegro  
   Clarinet: Sabine Mayer  

1791年に作曲されたクラリネットと管弦楽のための協奏曲であり、モーツァルトの中でもかなりの人気曲ということである。ちなみにモーツァルトが作曲した唯一のクラリネットの為の協奏曲ということで、ゲストのクラリネット奏者に合わせての選曲ということだろう。

幕間を入れて後半は、リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)作曲の『アルプス交響曲』(An Alpine Symphony)。モーツァルトを崇敬していたというシュトラウスなので、モーツァルトからシュトラウスという音楽的繋がりも楽しめる構成になっている。

An Alpine Symphony(アルプス交響曲), Op. 64 
  1.  Nacht (Night)  
  2.  Sonnenaufgang (Sunrise)  
  3.  Der Anstieg (The Ascent)  
  4.  Eintritt in den Wald (Entry into the Wood)  
  5.  Wanderung neben dem Bache (Wandering by the Stream)  
  6.  Am Wasserfall (At the Waterfall)  
  7.  Erscheinung (Apparition)  
  8.  Auf blumigen Wiesen (On Flowering Meadows)  
  9.  Auf der Alm (On the Alpine Pasture)  
  10. Durch Dickicht und Gestrupp auf Irrwegen  
        (Straying through Thicket and Undergrowth)  
  11. Auf dem Gletscher (On the Glacier)  
  12. Gefahrvolle Augenblicke (Dangerous Moments)  
  13. Auf dem Gipfel (On the Summit)  
  14. Vision (Vision)  
  15. Nebel steigen auf (Mists rise)  
  16. Die Sonne verdustert sich allmahlich  
        (The Sun gradually darkens)  
  17. Elegie(Elegy)  
  18. Stille vor der Sturm (Calm before the Storm)  
  19. Gewitter und Sturm, Abstieg  
        (Thunder and Storm, Descent)  
  20. Sonnenuntergang (Sunset)  
  21. Ausklang (Final Sounds)  
  22. Nacht (Night)

いつもの通り演奏開始と共にどっぷりとアルファ波に引き込まれ、横から冷たい視線を投げてくる妻の視線を感じながらも睡魔と柔らかなる格闘をしながら演奏に身を任せる。二階のサイド席なので、オーケストラを上から見下ろす形になり、チェロ奏者の中になんだか日本人っぽい男性がいるのを見つける。

後々調べると、中国人のチェリストだということが分かる。その演奏している姿を見ながら、恐らく小さい頃から国ではもの凄い才能を認められ、音楽の本場のヨーロッパに渡り、そこでも認められながら、どこかで自らの居場所を探していったのだろうと想像する。恐らく国に帰るか、それともそこで生活を続けるのか、様々な葛藤を抱えながらも今を過ごしているのだろうと勝手な想像が現実と眠りの狭間で持ち上がってくる。

演奏終了後のカーテンコールがとにかく長いのにやや疲れ気味になりながら、やっと始まったアンコールは「スターウォーズ」のテーマ曲。これには観客も大盛り上がり。やはり耳慣れた音楽を大迫力のオーケストラで演奏してもらえると、オーケストラの音の奥行がよく伝わってきて楽しめる。それにしてももう少しカーテンコールをギュッと圧縮してもらえればコンサートの余韻を楽しめるその後の夜の時間が持てるのにな・・・と思わずにいられない。

もしくはオペラハウス内か、もしくは付近に夜遅くまで営業するバーなどを併設すべきだろう。早く寝ないといけない子供はともかく、コンサートで高揚した気持ちを落ち着けるまもなく、とにかく皆出口に向かいすぐに家路につくのも、なんだか味気ない。せめて一杯引っ掛けて、「あれは良かった、これはどうだ」なんていってから帰りたいものである。

そんな訳で、メンター夫妻と相談し、市内中心の胡同エリアにできた美味しいビールを出すバーに行って軽く飲んで帰ることにする。彼らは地下鉄と乗り換えて、我々はスクーターで先乗りして喉を潤す事にする。



マークス・ステンツ (Markus Stenz)
ザビーネ・マイヤー(Sabine Meyer)
アマデウス・モーツァルト( Amadeus Mozart)
リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)


2014年2月22日土曜日

「アナと雪の女王」クリス・バック 2013 ★★

今日は妻の誕生日。土曜日に重なってくれた事も助け、なんとか仕事を調整し一日時間を取る事ができた。

朝から一緒に出かけ、昼ごはんを共に取り、映画を見て夜は予約していたレストランへ行く予定で、久々にフルで一日一緒にいることになる。

選んだ映画はその主題歌の「Let it go」が「レリゴー」に聞こえるからといって「レリゴー現象」と呼ばれるまでに大ヒットしているというディズニー映画。ディズニーアニメが大ヒットするというのは一体いつ以来なのかと考えてしまう。せっかくなのでピクサー製作でディズニー公開の映画と合わせてみてみると下記の様になる。

1989年 リトル・マーメイド The Little Mermaid
1990年 ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え! The Rescuers Down Under 1991年 美女と野獣 Beauty and the Beast
1992年 アラジン Aladdin
1994年 ライオン・キング The Lion King
1995年 ポカホンタス Pocahontas
1995年 トイ・ストーリー Toy Story (ピクサー製作)
1996年 ノートルダムの鐘 The Hunchback of Notre Dame
1997年 ヘラクレス Hercules
1998年 ムーラン Mulan
1998年 バグズ・ライフ A Bug's Life (ピクサー製作)
1999年 ターザン Tarzan
1999年 トイ・ストーリー2 Toy Story 2 (ピクサー製作)
2000年 ファンタジア2000 Fantasia 2000
2000年 ダイナソー Dinosaur
2000年 ラマになった王様 The Emperor's New Groove
2001年 アトランティス 失われた帝国 Atlantis: The Lost Empire
2001年 モンスターズ・インク Monsters, Inc. (ピクサー製作)
2002年 リロ・アンド・スティッチ Lilo & Stitch
2002年 トレジャー・プラネット Treasure Planet
2003年 ブラザー・ベア Brother Bear
2003年 ファインディング・ニモ Finding Nemo (ピクサー製作)
2004年 ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え! Home on the Range
2004年 Mr.インクレディブル The Incredibles (ピクサー製作)
2005年 チキン・リトル Chicken Little
2006年 カーズ Cars (ピクサー製作)
2007年 ルイスと未来泥棒 Meet the Robinsons
2007年 レミーのおいしいレストラン Ratatouille (ピクサー製作)
2008年 ボルト Bolt
2008年 WALL・E/ウォーリー WALL-E (ピクサー製作)
2009年 プリンセスと魔法のキス The Princess and the Frog
2009年 カールじいさんの空飛ぶ家 Up (ピクサー製作)
2010年 塔の上のラプンツェル Tangled
2010年 トイ・ストーリー3 Toy Story 3 (ピクサー製作)
2011年 くまのプーさん Winnie the Pooh
2011年 カーズ2 Cars2 (ピクサー製作) 
2012年 シュガー・ラッシュ Wreck-It Ralph
2012年 メリダとおそろしの森 Brave (ピクサー製作)
2013年 アナと雪の女王 Frozen
2013年 モンスターズ・ユニバーシティ Monsters, University (ピクサー製作)

こうして見てみるとディズニーとしての大ヒットは2002年のリロ・アンド・スティッチ以来となるのだろうか。

ディズニーアニメらしくミュージカル調に感情を歌に乗せて表現し、その舞台は氷に閉ざされた雪の国。もうすぐ締め切りを迎えるロシアでのコンペも、美しい雪の世界観をどう表現できるかなので、恐らく参考になるだろうと期待する。

雪と氷の世界を表現するCG技術もここまで来たかと思いながら、逆に「こんな事まで表現できるんだ」と言わんばかりの過剰表現も混じっているかのように見受けられる気がしないでもない。

それにしても、「こんな寒々しい世界のありそうに無いお姫様物語が、この時代に誰に受けるのだろうか?」と思っていたら、予想を裏切るほどに日本では子供中心に大ヒット中だというから世の中分からないものである。

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スタッフ
監督 クリス・バック
原案 クリス・バック
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キャスト
クリステン・ベル アナ
イディナ・メンゼル エルサ
ジョナサン・グロフ クリストフ
サンティノ・フォン タナ
ジョシュ・ギャッド オラフ
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原題 Frozen
製作年 2013年
製作国 アメリカ
配給 ディズニー
上映時間 102分
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「東京家族」山田洋次 2012 ★

小津安二郎の「東京物語」(1953)へのオマージュとして、設定のほとんどは踏襲し、舞台を震災後の現代に置き換えて撮影されたこの山田洋次による「東京家族」。

ネットでもさんざん叩かれているようであるが、確かに何の為にリメイクしたのか良く分からない。田舎の離島に住まう老夫婦が成人して田舎を離れ東京で生活を送る3人の子供達に会いに来るが、既に家庭を持ち、東京での生活も長くなった長男と長女は、東京に住まうものとしての価値観で少々の煩わしさを感じながら両親に良かれと思う事をしてもてなす。

開業医を営む長男は、両親を東京観光に連れて行こうとする早朝に緊急の患者が入る為に出かけられなくなり、案内をキャンセルしなければいけない。美容院を営む長女は狭い家に両親を泊めて息苦しい思いをするくらいなら、少々高くても高級ホテルに泊まってもらって、美味しいご飯でも食べてもらおうと両親に勧める。昔からの旧友は息子が出生し大きな家に住んでいるといっていたが、それが見栄であり実は全然うだつの上がらない息子を情けなく思いながら、逆に田舎から出てきた男に「お前はいいな。息子が立派になって」と愚痴を言う。

ホテルの高級な料理が田舎から出てきた両親にとっては東京で望んで来た物ではなく、子供達が自分達との間に感情のズレを感じる両親だが、どうしてもそのズレは埋まる事が無い。そこに訪れる母親の急死。家族にとっての一大事においても、長女と長男にとってはあくまでも東京での自分の生活が基本にあり、そこから年老いた父親をどう助けるかの視点のみ。

それに対して父親と馬の合わなかった次男が彼女を連れて帰省をし、父親の身の回りのことを手伝うのだが、そこで少しだけ父親が子供に対する気持ちを語る。

つまりは、現代社会における家族がいかにバラバラになり、それぞれの生活、それぞれの住まう場所が基本として物事を捉え、家族を思う気持ちはあってもそれはあくまでも一方的な捉え方であり、それが如何に相手側にとっては痛みを伴うかを描こうとしているのだろうと想像する。

形を変えても、恐らく日本中のどこの家庭でもあるようなこと。成長する子供をいつまでも子供として、親の考え方から捉える両親。自分も家庭を持ち立派に都会で生活を持つものとして親を分かってあげようとする子供達。そして東京と地方という距離の問題。

はたから見れば十分に幸せな家族のはずが、それぞれのメンバーは不幸だと思わないにしても、恐らく外から見えてるような感情を持ってはいない。大家族が減り、忙しない日常を生きる現代人。同じ場所で同じ時間を過ごさない限り必ず起こるギャップ。家族よりも、日常を共有するもの同士の価値観が影響しあうのが人間である限り、家族といえばとも感情のすれ違いは当然ながら起こってくる。

その微妙なすれ違いを表現するためには、崩壊しきっている家族でも、逆に近すぎる家族でもダメで、仲はいいのだが、それでも各人が望むような完璧な関係にはなっていないそこそこの家庭が舞台である必要があったという訳だろう。

自分が望むと望まないに関わらず、両親と過ごせる時間には限りがある訳で、できることは少しでも共に時間を過ごし、それを自らが楽しむ事でしかないのだろうと思わずにいられない。

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スタッフ
監督 山田洋次
脚本 山田洋次
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キャスト
橋爪功 平山周吉
吉行和子 平山とみこ
西村雅彦 平山幸一
夏川結衣 平山文子
中嶋朋子 金井滋子
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作品データ
製作年 2012年
製作国 日本
配給 松竹
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2014年2月17日月曜日

「アウトレイジ」北野武 2010 ★★

先日こんな報道が流れた。

「ガーナ大使「公邸」で闇カジノ」

それで思い出すのがこの映画。ビートたけし演じるヤクザ・大友が率いる山王会大友組。その組員が外交官の外交特権、つまり治外法権で外交官は国内法では検挙できないことを利用し、彼らに契約させた物件の中で違法な闇カジノを運営するというもの。

恐らくその話の元となったのは、もっと以前に摘発されたコートジボワール大使館員の契約した物件の事件だと思われるが、しかし本当にその様な事がまだ横行しているとは、恐らく事件の裏で同じように暗躍していたヤクザが法の網を掻い潜りなんとか人の欲望を刺激しそれを金に買える手段を何ともよく考えるものだと感心せずにいられない。




たけし映画の代名詞となっているその暴力表現。

「まいっちゃったよ。お前のせいで俺が指詰めなきゃいけないんだよ。」

という飄々とした雰囲気から一気に圧倒的な痛みを伴う暴力へと変化する。通常なら暴力を与える方がその「痛み」を理解しながら、同じ人間としてその「痛み」に嫌悪感を感じながらも暴力を振るい続けるという場合がほとんどだが、それをまるで人が血を吸う蚊を払い落とすように、何の感情も、何の痛みも感じてないかのように「暴力」を行使する。そのギャップの冷たさ。

たんたんと業務をこなす様に、冷淡に人を痛め続ける。一般社会での、「人を殺したら法律によって裁かれ刑務所に入れられる。同時に社会的信用も失い人生を棒に振る」という倫理的なブレーキは一切利かず、まったく常識の異なった世界に住む人間の姿にゾットする。

そのパラレルワールドの手法が新鮮であったのは良く分かるが、これほど繰り返し使われてもまだ、欧米の映画祭などで評価を受け続けているのは何の理由なのかと思わずにいられない。

このようなパラレルワールドの住民が、同じ社会を舞台として生きている事。ほんのギリギリの境界を持ったすぐ隣には、まったく常識の通用しないあちらの世界がパックリと口を開けて待っている。夜の繁華街はその世界が同化してしまうその恐ろしさ。

そしてその世界では権力を得る為には、親も子も関係ない、兄弟の絆も関係なく、ただひたすらに騙し、利用し、賢く強いものだけが最後に生き残り、そしてその力もまた新しい力によって奪われる、終わり無き権力闘争。どんなに勝ちを続けようと、勝ったまま終わることは無理な設定。それでも誰もが終わりを見ずに一歩先だけを目指して突き進む。

巨大なピラミッドを形成する組織の頂点に立つ人間は、古代の王族のような生活を送る。それぞれの階層で誰もが「少しでも楽をして、少しでも多くの金を稼ぐ」と願い、自分より上の階層に諂い、下の階層をこき使う。そしてその最下層に属すると、更にその下に一般社会のはぐれ者まで手を伸ばし、薬物や風俗などモラルを破壊してでも自分と組織の利益を求める構図となる。

組長の集まりの様子などを見ていると、一体この世界では全体としてどれだけの経済規模を持っているのだろうかと想像を膨らませずにいられない。

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スタッフ
監督・脚本・編集 北野武
プロデューサー 森昌行
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キャスト
ビートたけし 山王会大友組組長 大友
椎名桔平 山王会大友組若頭 水野
加瀬亮 山王会大友組組員 石原
三浦友和 山王会本家若頭 加藤
國村隼 山王会池元組組長 池元
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作品データ
製作年 2010年
製作国 日本
配給 ワーナー・ブラザース映画、オフィス北野
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2014年2月16日日曜日

なりたいと願った職業

クタクタに疲れ果てた打ち合わせの後の会議室。ふと思うことがある。

世の中には様々な職業があるのだろうが、その中にはなんとなくその仕事についている人もいるだろうし、あまり多く考えなくてやっている仕事もあるだろう。しかしその中には人生の中で自分が強く「なりたい」と願わなければ決してその職業についていないという種類の職業がある。

恐らく「建築家」という職業もそのうちの一つに違いない。

社会的に責任を伴う職業であるから、大学で何年にも渡って専門教育を必要とし、専門教育を終了したことが条件としてその後実務を何年も経験した後にやっと始めてその資格試験を受けることが出来る。

厳しいその試験を合格してやっと国家に認められた建築士として名乗れることになる。そしてその建築士としての技能を十分に持ち合わせ、重い責任をしっかりと引き受けて、更に世の中が認めるような設計の能力を組み合わせることで社会にとって意義のある建築物を作っていくのが建築家。

日本人としてではなく、一人の職業人として世界に出て行き、大きな舞台で思いっきり自らの能力を試してみる。様々な国籍の仲間と一緒に、英語と中国語という世界言語を使いながら新しい価値を生み出そうと必死に毎日机に向かう。

そんな日常を考えると、恐らくどこかの段階で、そうなりたいと願った若かりし日の自分がいたのだろうと振り返る。だからこそ、今こんな日常を送っているのだろうと。

そしてどんなに苦しい日常だといっても、やりたければ、どれだけでも自分が想い描く素晴らしいと思うディテールを描き、それを適応できるプロジェクトがあり、それを語り合う仲間もいる。恐らくそれは喜んでよいことなのだと思う。

90%の日常が問題ばかりだと、どうしても物事の良い側面が見えにくくなってしまう。しかし今の自分が立っている場所は、かならずかつての自分が望んだ場所なんだという事実を忘れずに、問題は今の自分がその先にどんな場所に立つことを望んでいるかであり、それがどれだけ素晴らしい場所なのかを考えて今を過ごすことなんだと自分を奮い立たせて会議室を後にすることにする。

施工に土日はない

日曜日だというのに、ハルビンからクライアント団を始めとし、内装、外装、カーテン・ウォールの施行会社、それぞれのコンサルタントなどが大量に事務所に押し寄せ、進んでいるオペラハウスの施行の問題点について打合せをする。

今年中に終わらせなければならないオペラハウスという巨大な現場が動いている様子は、あたかも強大な生物が日々蠢いているようなものである。様々な関係する人間が、その内部に入り込み、それぞれの役割を果たすべく作業をし、様々な決定を下していかなければいけない。

少しでも遅らせる事は現場に入っている何百という作業員の一日の仕事が遅れることを意味する。そんな現場に土日は無い。なんとか現場を止めない様に、遅らせないようにと日曜日でもなんだろうと打合せを進めていくわけである。

このプロジェクトに関係するメンバーはもちろん資料を用意し、朝から出てくる訳であるが、幾つものプロジェクトを同時に見なければいけない側としては、このような状況がx10で押し寄せてくる。当然、まともな週末など期待できるわけも無い。

せめて竣工後、こけら落とし公演で自分達が魂を込めて設計したオペラハウスの中で、今度何十年とその地の文化の発信源となる建築で、心地よい音楽を聴きながらアルファ波の中に落ちていく瞬間を期待する事にする

数多の項目

数週間先に迫った来たモスクワの都市計画のコンペの締め切り。
現場が進み今年中には竣工を目指すハルビンのオペラハウス。
シンガポールよりのマレーシアの海上に浮かぶ新しい都市計画のプレゼン。
日本で設計をした住宅のその後の寒気への対応。
北京の798アート地区に計画されている美術館の提案。
朝阳公園脇に計画中のオフィスビルのファサード・コンサルタントのワークショップ。
アモイで進むアパレル会社の本社ビルの内装デザイン。
泉州のコンベンション・センターのプレゼン。
黄山で第一期が既に建設中の住宅プロジェクトの第二期の設計。
南京で進むオフィス地区の設計。

進行中のプロジェクトはそれぞれのプロジェクトに5-7人のチームを組むことになる。プロジェクト・アーキテクトを中心に、数人のフルタイムのメンバーと、それをサポートするインターンの学生達。

それぞれのプロジェクトには、クライアントがいて、LDIと呼ばれる地元の設計会社がいて、様々な分野のコンサルタントがいて、それぞれがそれぞれの役割をもって全力でプロジェクトに関わっている。

毎日多くのやり取りが行われ、でてくるのもののほとんどは「あれはできない、これは無理」という難題ばかり。それをどうにか頭をひねり、知識と経験を駆使して、なんとか良いアイデアで実現できるようにと考える。そしてそれを人に伝える。

そんな構築的と言うよりは、どちらかというとマイナスをなんとか少なくする為に時間を過ごす毎日である。

各プロジェクトですら一日に行わなければいけないこと、進めなければいけない項目は数多になる。それが10を超えて、その全てを見てやり取りをしていかなければいけなくなると、それはある種曲芸の様なものである。

ウツウツとするような時間も与えられず、ひたすらに短時間に如何に効率よく処理をして、指示をしていけるかだけ。現状に文句を言う暇があれば、少しでも自分の能力を高め、そのスピードを増して、経験値を上げて見えることを増やしていくしかない。

恐らくどこかで臨界点は来るのだろうと思うが、それまではできるだけ職業的能力の向上を自分に課して、何処までいけるか試してみるかと自分を納得させてまた机に向かうことにする。

2014年2月15日土曜日

主要都市の地理的条件

数日前に訪れていた山陰の滅入る様な天候が未だに脳内に強烈に残っている。戻ってきた北京では、凍てつくような冬の寒さも一段落し、時折青空も覗きながら、多くの人が外に出て活動を行っている。その姿を見ると、ひょっとして歴史上栄える事ができた都市というのは何からしらの地理的条件を兼ね備えていたのでは?と考えてしまう。

経済活動を年間通して支障が無い、つまり山陰で出くわしたように一日の中で吹雪で外での活動が制限されることは、東南アジアの様にうだるような湿気と熱気で外で活動が出来ないなどと、身体に影響を及ぼす要因ができるだけ穏やかな気候帯にひょっとして21世紀まで勝ち残ってきた都市は集中しているのでは?


都市の世紀に入った21世紀に君臨する輝かしき都市達は、ある限られた緯度ベルトの中に集中して存在しているのでは?などを疑問を持ちちょっと調べてみる。すると「域内総生産順リスト」なる都市リストがあるらしく、その上位30都市を世界地図上でプロットしていってみる。


すると思ったほどに分布は進んでおらず、別の想定で勝ち組を呼ばれる都市は一定間隔を空けて分布しているのでは?という想定も裏切っているようである。

都市の発展する要因は非常に複雑で絡み合い、時代の流れと共にちょっとしたバランスでまったく違う道を進んでしまう。政治に翻弄され、素晴らしいポテンシャルがありながらも、やはり衰退の道を進む都市もあったのだろうと思われる。

しかし、それでもやはりある文明や文化の中で、都などの中心が生み出された後に、そこから放射状に伸びていきながら、地形や交通の便を考慮して伸ばされていく時代によって様々な交通網。その容易さと距離を背景に生まれてきた地域拠点都市。

地域の拠点であるにも関わらず、交通もの発展と社会の流動化により、人口もまたその交通網にそって移動が容易になっていく。都市が勝ち残っていくためには、人々がそこに留まるだけの何からしらの魅力を持ち、メリットを人々に還元できなければいけない。恐らくそのレベルに天候の要因も入ってくるのだろう。

つい先日も島根県の人口がついに70万人を切ってきたニュースが流れていた。


人口が減ることが一概に悪いことだとは全然思わないが、歴史上どのくらいの人がその地域に住み、そして現代において70万人というのが、他の都市に比べてどのくらいの成長基準であるのかを良く見てみる必要があると思うが、冬の山陰を数日だけでも経験した後には、そのニュースが酷く説得力をもってのしかかってくるようである。

2014年2月13日木曜日

Complex Geometry & Optimization


北京で進行中のプロジェクトの為にフランスのファサード・コンサルがワークショップにやってきている。

曲面を含んだファサードをどうやってオプティマイゼーション出来るか?どうすれば、一番経済的で、施工性の高い方式で、コンセプトを崩すことなくバーチャルな世界での設計をリアルな現実世界の建材という生々しい物質に落とし込めるかを検討する為である。

3次元曲面を持った建築を扱う時代に入った現代の建築設計の現場においては、設計を行う建築家と共同する形で、ファサードと呼ばれる建築の外形面のエンジニアリングに特化したファサード・コンサルタントとの協同が必須になる。

もちろんこれらの作業は下記のいくつかの条件が当てはまってこそ発生する。

複雑形態を持つプロジェクトであること
複雑形態を可能にできるプロジェクトの規模と予算があること
ファサード・コンサルタントの参加の重要性をクライアントとが理解していること
ファサード・コンサルタントとの仕事の進め方と建築事務所が理解していること

そう考えると、一定規模を超えるプロジェクトであり、ファサードにもスケール・メリットが発生し、さらに少なくないコンサルタントへの設計料を支払ってでも、全体としてプロジェクトにメリットがあり、そのプロセスとデザインを共有できるクライアントの存在が必須となる。

そしてこのようなファサード・コンサルタントと呼ばれるエンジニア集団が世界中で多く増えてきたのは、もちろん複雑形態を扱う建築プロジェクトが世界中で増えてきた事もあるが、その背景にはその建築を可能にしてきた様々な建築技術、施工技術のイノベーションと、アルゴリズムを使った3次元ジオメトリーに対する解析とアプローチの発展があるのは間違いない。

どこの国でもそうであるが、上記の条件の中でどれか一つでも揃わないとなかなかこのコンサルタントと協同する機会は得られず、特に個人住宅などを行っている設計事務所では恐らくこのような機会は一生必要ないといえるであろう。

つまり、どんなプロジェクトに従事しているかで、「建築家」と言えどもまったく違う業務に従事して日常を過ごすことになる。しかし、この複雑幾何学とその適正化、つまりオプティマイゼーションの行程は現在の建築の世界でかなり重要な位置を占めてきているのは間違いない。

昨年話題になった新国立競技場。かつて勤めていた事務所がその設計に当たるということで、友人が担当者として東京でザハ事務所と日本側の設計組織とのやり取りを担当しているのだが、彼からも「日本で複雑形状を扱えて、BIMを理解し、英語と日本語が使えて、日本側の組織とやり取りができる人材を探しているのだけど誰か紹介してくれれないか?」と頼まれているのだが、恐らく今の日本にはその様な建築家はかなり少ないと思われる。

第一にその様な設計プロセスを教育の中で教わってこない。恐らく多くの大学は、原理原則でコルビュジェやカーンといったモダニズムの建築をベースに、プロポーションやレイアウトを重要視する設計課題を行っているはずである。それに対して海外のいくつかの大学では教育の場でアルゴリズムや新しいプラグインを開発するくらい、新しい技術を積極的に取り込んでいく流れがある。逆に言えば、日本の建築教育の場で、これらの流れを正確に意味を把握し、その重要性を理解し、そして技術を理解し、設計の現場でどの様なやり取りがなされているのか?建築家がその時に何を理解していなければならず、何をコントロールしなければいけないのか?そしてこれらの流れが今後の建築の世界にどのような影響を及ぼしていくのか?

これらの事を実感として感じ、真剣に考えて、何が学生に必要かを議論している建築教育の場は恐らく今の日本には皆無であろう。それがもたらす教育課程においての無菌環境。

それに続いて、日本では世界で見られるような複雑形態を持ったプロジェクトがほとんど行われないことにより、必然的にそのような設計プロセスに触れる機会も、そのような施工技術の向上の機会も少なくなってしまっている。デコンやポスト・モダニズムへの反省という面もあるのであろうが、代々木体育館や香川県体育館といった高度成長期にあれだけ国をあげて、世界的にもトップクラスの建築表現を試み、挑戦し、成し遂げていた日本の建築界が、いつの頃からか新しい建築空間の可能性を追い求める事を経済性の問題から出来なくなってきたことが原因となっているのは否めない。

それは同時に、そんなリスクをとってでも、世界的に誇れるような建築プロジェクトを成し遂げようとするクライアント、ディベロッパーや行政がいなくなってしまったということでもある。いなくなったというよりは、「ハコモノ」のトラウマから脱却できない行政にはその様なことを考える事すら出来なくなってしまったのだろうし、ディベロッパーには土地から逆算できる市場を睨んだ想定される売値という安全な方程式だけを求め、建築的価値や世界に誇る新しい空間を作る事の意味は何も必要が無いという、海外の以下に他と差異化できるかを追い求め、自らの価値を高めようとするディベロッパーとは見ているところが大きく違ってしまっている事も大きい。

そんな訳でできるだけこれから建築の実務の世界に入っていく建築を学ぶ若い学生などには、一体どんな事が現行の建築設計の現場で行われているのかを知識として得ておく事はとても重要な事だと思うので、誰かがどこかでこのページに辿りつき、それがその後の進む道の何からしらのガイドになればと思う。

そんな訳で話を戻すと、現在この分野で世界的に名が知られているファサード・コンサルタントを挙げてみると、

Gehry Technologies (GT)

Arup

Front

Inhabit

など様々な会社がそれぞれの強みを武器に世界中を舞台にプロジェクトを進行させている。そして今回のプロジェクトで協同することになるのは、ピーター・ライス(Peter Rice)という建築を学ぶものなら必ずその名を聞いた事のあるアイルランドの構造家が立ち上げたRFR(Rice Francis Ritchie)。

RFR

ピーター・ライスはシドニー・オペラハウスやポンピドゥー・センターなどを手がけた世界的構造エンジニアであり、その芳醇な経験は新しいエンジニアのあり方としてRFRへと受け継がれていく。

さてオフィス内でも元GTで働いていたスタッフを雇い入れ、「Digital Project」を使いながら、それぞれの曲面をロジックに沿いながら最適化していく作業を繰り返し、最初がどの様な形状で、どのような目的でどのような方法を採用して最適化したかと各ステップごとにまとめ、その行程を何度も繰り返し最終的にたどり着いた形状を資料としてまとめ、3次元データと共に渡しておく。

フランスからやってきたRFRのエンジニアが彼らの上海オフィスからやって来た上司と共に、北京に1週間滞在し、まずはプロジェクトの把握と、彼らが進めてきた最適化の方向性を理解し、それをまずは建築事務所と議論しながら、方向性を探っていきながら、最後の二日間はクラインとも交えてどの方式を採用するかを決定してというワークショップである。

最適化はあくまでもコスト、施工性、素材の加工性、建材の大きさ、建築のコンセプトなどとバランスをとりながら、不安定な道の上をうまく進んでいくような感覚である。もちろん、関係してくる雨水排水や通気溝との納まりやメンテナンスの容易さなども考慮しながら、局所的な目的と、大局的な目的を視界の端々に捕らえながら、ローカルの最適化とグローバルな最適化を共に頭の中に知れながら進めていくことになる。

クライアントの要望としては、もちろんコストカットが一番な訳であるが、そのために美しい曲面の外装をすべて一枚一枚平坦な直線のガラス面で置き換えることは、いくら納まりを工夫したところ、反射や透過で直線の集合体で曲線を表現したことが見え見えとなり、それは建築事務所として求めるところでも、クライアントの求めるところでもなくなってしまう。

それらのことを防ぐ為に、まずは建築のコンセプトを説明し、どこをキープするのがこのプロジェクトにとって一番の肝かを理解してもらう。それに続き、プロジェクト・アーキテクトと一緒になって彼らがフランスで進めてきた最適化の方向性について説明を受ける。

上記したように、様々なパラメーターを同時にコントロールしていく。同じ目的地にたどり着くにも、まったく違う道を通っていく事もある。それにはすべてロジックがあり、数学と物理を駆使した数値の後押しがある。

この時に、エンジニアが何を目的として、どんな方法を考え、各ステップでの個別の目標は何かを正確でなくても、ある程度理解しつつも、それが建築事務所の求める結果に向かっているかを判断する能力が建築家にも求められる。ここで話されるのはディテールやフレーム、構造などの通常の建築用語に加えて、サイン・コサイン・タンジェントにローカルとグローバルのでの参照面に対しての法線や角度、xyzのどの軸を対象とし、どのパラメーターを操作するか。

パネル化のサイズをどれだけに抑える事で、各パネル間のギャップがどれだけになるのか。その隙間はブラケットで吸収できる程度のものなのか、それともシステム的に吸収しなければいけないのか。参照面の4つの頂点からの距離がどれくらいに抑えられるのか。角度と回転を制御し、排水や、防水、汚れの流れをイメージし、捻りとシリンダーの精製方法の違いがどうコストに跳ね返るかを理解していく。

こういう話は聞いていればいいのではない。会議室に座って、なんだか最先端の技術の話を勉強になるなとレクチャーの様に聴いていることは誰にでもできる。そうではなく、いつか中学か高校の教室でならったあの知識と脳の奥から引っ張り出し、彼らが何を見ているのか、何を目指しているのか、何を話しているのかを真の意味で理解し、それを使いこなす。彼らの視点からは見えない、建築家の視点で意見やアイデアを出し、プロジェクトにとって生産的な方向に議論を進めていくこと。

ガラスを工場で曲げるためには、オーブン装置に入れて熱してやらなければいけない。その機械のサイズを知らなければどのように最適化できるかも分からない訳である。そしてその機械のサイズに対して、どの角度でガラス版を入れるかにより、それぞれのガラス板の最大サイズが求められる。その数値から再度建築に戻り最適化と分割化を行っていく。

デジタルから生々しいモノのレベルを何度も何度も往復し、数学と物理という自然界を支配する学問の知識を総動員させながら、グラスホッパーの複雑なアルゴリズムを駆使して最適化を進めていく。

普段のデザインの時間とはまったくことなった脳の部分を使用しているのを理解しながら、こちらの意見を出し、一定の方向性を決めて、これから一週間、毎日こんな時間を過ごすのかとどっと疲れを感じて会議を終えることになる。

ちなみに上記上げた他のファサード・コンサルタントとも、別のプロジェクトで協同しているのだが、それぞれの会社に違った特徴や仕事へのアプローチがあり、やはり技術といっても単純に何が優れ何が劣っているとは言えず、結局はそれを使う人間の資質に関わってくるものだと改めて思う事になる。

2014年2月11日火曜日

分厚い最低保障

日本に戻っている間に、高校の同窓会の世話人が集まって、次回の同窓会の打合せと称した集まりを開いた。そこに国会議員となった同級生も来たので、「日本はこれからどうなっていくのだろうか?」について話をする。

彼が言うには、「多くの人が貧困だ、貧しいとか言うが、今の日本で餓死者がでているか?世界でこれだけ豊かで、死の心配をしなくて良い国は他にはない。それは政府が努力をしてきた結果に違いない」という。

高齢者の孤独死や、若年貧困層が生活保護を受給できずに貧困生活から抜け出せない問題などもちろんまだまだ個別ケースで貧困に関わる事は多くあるのだろうが、確かにそれも一理あると思いながら聞いていた。

普段から、日本人は朝から晩まで、大多数の人がドロップオフすることなく、全うなサラリーマンとして会社勤めをし、その真面目さでそれなりの知識を得て、しっかりとした社会人のマナーを身につけて仕事をし、社内や社外での人間関係に神経をすり減らしながら一生懸命働いている。朝の地下鉄や、終電で乗り合わせる人を見ると、誰もが疲れ果てているようにしか見えない。

それだけ真面目に働いているにも関わらず、ヨーロッパのどこかの国の様に、「経済危機だ」といいながら、夏には皆バケーションとして南の島に大移動する、なんという豊かさ。

一方日本ではあんなに一生懸命、真面目にあれだけ長い事働いているのに、家賃、健康保険、国民年金、光熱費、住民税等々、生きる事の必要経費でほとんど手元に残らない。その中でもできる楽しみを見つけて、文句も言わずに今日も電車に乗って通勤する。

そんな中で生きていると、やはり家賃や健康保険などが本当に適正な金額から外れ、必要以上に吸い上げられてしまっているのではと思いたくなるのが人の常。土地や建物を持つ者だけが、システムとして下部層からできるだけ多くのお金を奪っていく。そんな一面もあるのだが、彼の言ったことを考えると恐らく違った一面も見えてくる。

日本人が日本で生きていくうえで保障されている生活の基礎部分が世界に比べてどれだけ手厚いかという問題。しっかりと手続きさえ踏まえれば受けられる行政サービスは多様に渡り、生活保護もしっかりと需給条件さえ満たせれば、生活するのに十分な額が支給されるようになっている。

医療や高齢者介護、障害者や教育。それらの制度と維持すべき施設。そしてその分野で働いている人々への賃金。保障する最低基準の生活が、世界基準で見れば相当に豊かな生活になってしまっている事実。それほど手厚い保障が施される国。それを維持する為にどれだけ多くの税金が投入されていくことか。

もちろん本当に精査していき、現在の社会に適した内容に変更していく必要もあったりし、かかる費用を落としていける部分もあるのだろうが、もう一つの側面は、成長期に合わせて、人口が増えていく想定の中で様々な制度が作られてきた中、その前提がガラッと変わり、制度を維持するだけの力が国になくなってきてしまった以上、「今までのような手厚い保障を続けていく事はできません。それに健康的に生きていくには今よりも低い水準でも現代日本では十分可能なはずです」と政府は正直に言う時期に入ってきているのだろうと思う。

それに合わせて大幅に制度を変えて、教育や住まう場所は提供し多様性をもった保障の形を作りだし、これからの日本の国の規模に適した、多様な生き方を許容でき、かつての良き時代の利権を維持するだけの搾取構造から脱却し、適正価格を社会で見つけていけるような時代が訪れて欲しいと願わずにいられない。

少々の不自由さ

北京に戻り、冷蔵庫を開けるが暫く家を空けていたのでこれといった飲み物が無い。そんな時思うのは、深夜にも関わらず、すぐに外にでて近くのコンビニで何十種類の中から好きな飲料を選ぶ。そんな日本の便利さはここにはない。夜には閉まるスーパーが朝に開くのを待つしかない。

こんな些細な事だけと、日本にいると当たり前のことがどれだけ過剰に便利であり、心地よい環境かということを思い知る。

これを企業努力というのだろうが、人は少しでも便利だと思う事、快適だと思う事にお金を払う。それが企業にとって少しでも儲けに繋がる、利益になれば、様々な手段を使って開発される。競合他社よりも一時間遅くまで営業していれば、利益がどれだけ上がる。ほかよりもより近く、高密度で店を展開すればどれだけ売り上げが上がる。

高度なマーケティングのシュミレーションと組み合わされ、住まう人はデータを作り出すパラメーターとして把握される。そこには、快適な調整された環境で育てられた動物が、いきなり厳しい野生の中に放り込まれたら自分を守ることもできずに死に絶えてしまうような、「人はどこまで快適さを与えられたら、厳しい現代社会で生きていくうえでの力を無意識のうちに失っていくか」などという要因は加味されない。

確かに便利になったり、快適さを感じたりすることに流れるのは止める事ができない。ただ、それが世界の他の国と比較して、どれだけ差異化されているのか?多様である他の国では、どれほど日本から見たら低いといわざるを得ないスタンダードで多くの人がそれを当たり前として暮らしているのか。

それを認識せずに、ただただ全てを与えられ、すべてを経済性から捉え、対価を支払う事で進歩したサービス産業の恩恵を受けるんだと開き直ることで、どんどんと楽に慣れた堕落した人間を作り出してしまうのではと思わずにいられない。

コンビニの例だけではなく、様々な場面において一つの事をこなそうとする時のハードルが過度のサービスの発展の為に、非常に低くなっている現代の日本。しかし提供されるサービスが向上するのは、それはあくまでもビジネスの一環であるから。そこに利益があがるというシュミレーションが働くから。

もし、そこが限界集落、極点社会へと針が振れ、利益の見込みがなくなった時には、恐ろしいくらいにあっさりと撤退していくのが競争に晒された企業の本質。日本が人口を失い、国の枠組みが少し外に開き始めれば、外部のスタンダードが大量に流入するのは眼に見ていてる。

そんな時代を見据えると、至れり尽くせりのサービスにどっぷりと精神を浸して過ごすのではなくて、人が健康的に生きていくのに一体どの程度が適切か、自ら判断しながら、世界の標準と距離を測りつつ、しっかりとサービスの中から意識的に選択して付き合っていく必要があるのだろう。

少々の不自由さの中で生きたほうが、人は困難を克服しようとする力が養われる。特に小さな子供には、できるだそんな環境で育っていくのがいいのではと思いながら冷蔵庫を閉めることにする。

2014年2月10日月曜日

実家堕落論 

休暇にあわせて帰省をし、両親が住まう実家にて数日を過ごす。数日にも関わらず、あまりの快適な環境に麻痺するように自らが堕落していくのを感じて過ごす。

ネット時代から取り残された高齢者の両親の家であるため、ネットへの接続がない環境。普段なら考えられない事態であるが、その為にまともに仕事のメールをチェックすることすらままならない。

仕事をするしつらえになっていない為に、図面を開いてチェックしようとしても、ちゃぶ台にノートパソコンを置いてなんとも疲れる格好で画面に向き合おうことになる。そんな状況でまともな仕事ができるはずもない。

普段なら数十分ごとに各プロジェクトの進行がどうなっているか、SNSやメールでやり取りが行われているが、完全にその世界から蚊帳の外に置かれた状況。始めの数日はその環境にかなり焦りを感じてソワソワと落ち着かないが、それすら「しょうがない」と踏ん張りが効かなくなってしまう。

日常は物凄いスピード感で動いている世界。様々な相手とやり取りをし、問題をできるだけ短期間で解決し、できるだけ設計を進めること。少しでもサボれば、その分後の自分がきつくなるだけ。だからできるだけスピードを落とさず、流れから外れないように仕事を進める。

そんな日常がすぐ隣に存在しているのが嘘の様にゆったりと流れる時間。そして「人は慣れる動物」であるのを実証するように、こんな堕落した時間を過ごしていてはいけないとわかっていても、人は楽を覚えるとドンドン流される。

生きていくうえで負担しなければいけない様々な事。洗濯や家事、家賃負担や料理。掃除や風呂の準備まで、そこに生活を持っている人の日常に入り込むので、短期のパラサイトになる訳で、自分がやらずともおのずとやってくれてしまう親のありがたさ。

とにかく楽。

もし自分が引退し老後を過ごすだけの高齢者ならそれでもいい。しかしこれから現役世代とし家族を養っていかなければいけない年代に、気力が萎えるのが一番恐ろしい。

この環境は頑張る気力を萎えさせる。ここに長くいてはダメだと身体が感知する。

とりわけ、自分の両親が特にダメ、子供に甘い、という訳ではない。恐らく親というのはそういうもので幾つになっても子供の世話をして喜ぶ。問題は大人になっても、その緩い環境に甘んじてしまい、楽をする自分。

それはある種の怖さをもたらす。その緩慢な環境から抜け出せない人が多くいるのも理解できなくない。そしてそれを簡単には責められない。誰もがこんな楽をしていては、自分で生きていけなくなると思いながらも、それでも毎日少し、少しと麻痺し、それでも世話を焼いてくれてしまう親心に甘え、徐々に徐々に堕落の底へと落ちていく。

その先に待っているのは、引きこもり、ニート、パラサイト。親が元気なうちのという期限付きのパラダイス。

親と過ごす時間は必要であるが、適切な距離を保ちつつ、自らに滞在時間を限ることが自身の心の堕落から救う必要があるのだと改めて理解し、子供が出来たらやはり適切な時期には親元を離れて生活させる必要があるのだと実家に戻る為に思わされることになる。

クローズアップ現代 「あしたが見えない ~深刻化する“若年女性”の貧困~」 ★★★

ネットでかなり話題になっているらしい先日放送された「クローズアップ現代」の特集。格差社会が叫ばれ、連鎖する格差の中で、生涯未婚率が20%を超えてきた現代日本。

少し前の日本の様に、自分で生活を支えるほど社会の中で稼ぐことをしなくても、ある年齢までは実家でやっかいにあり、出会いかもしくは誰かの世話によって結婚相手を見つけ、その後は専業主婦として男性に養ってもらう。そんな日本の女性の漠然とした生き方が変わってきた現代。

非正規雇用で働く人の数が増え、結婚相手どころか自分一人の生活すら支えるのが難しいという層が増加した時代には、もちろん結婚相手の女性にも家計を支える手助けをしてもらおうと期待する男性が増えるのは当然。

そうなると頭では分かっているが、やはり自分だけは自分の願うような生活を保障してくれるような男性と出会って結婚できるのでは・・・と理想の世界に行き続け、結局結婚せずに独身を守り続ける女性達。それらの女性はいくら収入が少ないといっても、いくら貧困だといっても、少なくとも実家にパラサイトし、自らもそれないの収入を得て、少なからず刹那的な欲望を満足させながら生きているだろう。

今回の特集で取り上げられたのは、それらの層ではなく、シングルマザーなど子供を育てながら、生活保護も受けられず、頼れる家族もなく、なんとか自分で生きていく糧を稼がなければいけない女性達。仕事をする時間に子供を預ける託児所も、日中の仕事をしている人にはまだ余地があるが、短時間で高収入を得ようとする彼女達の勤務時間に預けられる託児所の整備は進んでいない。

行政に縋ることもできず、血縁にも頼ることが出来ず、ましてやそんな境遇を助けてくれる強い絆で結ばれた友人がいるはずもなく、そんな彼女達に手を差し伸べるのは、風俗産業。若さと女性ということを、短時間の高収入に変換するその風俗店は、働き手である若い女性の実情を一番理解し、少しでも彼女達が働けるようにと手を尽くす。

それが、「寮あり、食事あり。託児所完備。シングルマザー歓迎。」という風俗店の求人広告。

仕事前には店の提携する託児所に子供を預けられるシステムを打ち出す店もあるという。

残念ながら風俗産業にとっては貧困に窮していようとも、若い女性であることがそのままビジネスでの価値となる現実。そしてその価値を最大限にする為に、店側の経営努力として、働き手の女性を確保する様々な特殊な福利厚生ではないが、働く環境を整えることが、頼ってくる人を精査して不正受給を防止しようとする行政側の生活保護ではシステム的に弾かれてしまい、何処にも行くあてが無く最終的に縋る場所になってしまっているという現代の一断面。

本当はこういう風になんとかその環境から抜け出そうと、子供の為に少しでも良い生活ができるようにと思いを持ってはいるが、それでも現状で自分の力だけではどうしようも抜け出せない多くの人にとって、本来的には力を発揮するべきの生活保護。

それが三親等まで扶助義務を拡張するとかよりも、多様なケースに多様な方法で対応できる、一定額支給から進歩した新しい形の生活保護の移行する必要があるのであろうと思わずにいられない。

この特集で取り上げられたシングルマザーの子供達は、恐らく十分な教育を得ることも出来ず、格差が再度連鎖していくことだろう。子供の教育の不公平を生んでしまう現状は、やはり社会の側に問題があると思われる。

ケースバイケースで現金を支給するのではなく、貧困者が無料で住まうことのできるソーシャル・ハウスを準備すること。もしくは似た環境の貧困者が集って住まい、互いに空いた時間で子供をみあったり、家事を分担したりと、新しいソーシャル・シェア・ハウスなんかも求める人は多そうである。

恐らくそういう政策は成果が見えにくいことと、その為に大きな手間がかかることが想像されるが、しかしこのまま現状の見えにくい貧困を社会に放置しておくことがこの国の未来に何かしら良い影響を与えるとは誰も思えない以上、やはり新しい動きが出てこないといけないのだろうと考えさせられる、素晴らしい内容のドキュメンタリーであった。

「下町ロケット」 池井戸潤 2010 ★★★

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第145回(平成23年度上半期) 直木賞受賞
第24回山本周五郎賞候補
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情熱も技能もあり、中小企業でモノづくりに励んでいる熱い思いを持った技術者である主人公。そこに規模がすべてだと言わんばかりに、上から目線で指をつっこんでくる大企業。モノづくりの魂を忘れ、ただただ企業での出世争い、大企業に属しているだけで自らが偉くなったかのように振舞う悪者に、不器用ながらしっかりとしたプロフェッショナリズムを持ち、情熱とチームワークで立ち向かう。

そんな小説こそがこの作家の真骨頂だと思われる。直木賞受賞したためになかなか文庫版が発売されず、やっと書店に並んだ文庫を手にとりページをめくると、まさにそのストーリー。久々にアマゾンとブックオフではなく、書店で手にした文庫だけあり、あっという間に読みきってしまう。

何年か前に、友人の丸若屋の丸若君に頼まれて日本屈指のへら絞りの技術を持つという北嶋絞製作所さんと一緒になって、真球の形をしたアルミ製の弁当箱を作るというので、ちょこっと手伝いをしていた折に、「大田区の技術は凄いから、ぜひ見てください」と言われ打合せに同行した工場では、H2ロケットの先端部品など機械では最後の微妙な調整が行えず、数ミリ以下の調整を最後は職人の手作業で行うなどと教えてもらう。

Around the bento box project

北嶋絞製作所

恐らくこの小説のモデルになったのではと思えるような、技術をとことん信じて、その中でイノベーションをおこして行く日本のモノづくりの現場。

本書の中でも出てくる言葉

「いったん楽なほうへ行っちまったら、ばかばかしくてモノ作りなんかやってられなくなっちまう」

そんなことをきっと何度も何度も繰り返しながらも、それでもモノに向き合うことで前へ前へと進んで来たに違いない。そんなことを思い出しながら読み進めることができた。

しかしどんなに優秀で、どんなに真面目な技術者でも、自分で事業を持つようになるとどうしても経営者としての側面も持たなければいけなくなる。会社としての将来を見据えた自分の想いと、それとは別に毎日の生活を抱えた社員の思い。十年先の発展への投資か、それとも確実な数年先の利益か。その狭間で何の為に生きているのか分からなくなりつつも、投げ出す事ができない責任を抱えあんがら生きていく。

そして一歩会社をでれば、社会の中で別の役割も担っていかなければいけない。家庭に戻れば、仕事の大変さなど関係無しに、父親の役割をしなければいけないし、仕事のストレスで一杯一杯にも拘らず、子供の世話をしなければいけない。

契約打ち切り、特許侵害の訴訟、資金繰り、特許の買取の商談、社内の調整、家庭のごたごた。

毎日降ってくるのは問題だらけ。それぞれにそれぞれの関係者がいて、皆が皆その問題の当事者として必死に立ち向かってくる。それを全部一人で当事者として受け止めなければ行けない。「何で俺だけ、こんなにやらなければ、苦しまなければいけないんだ・・・」と思いながらも、「もうやってられない」と放り出しても誰か他の人が代わりにやってくれたり、やれたりすることでもない。

それが自分が選んだ生き方であるから。

建築なんていう、「問題をどう解決するか?」が9割の世界で日常を過ごしていると、まさに同じような気持ちで日常を過ごすことになる。一日にいくつもの問題の解決策を検討し、考えて、調整し、それでもうまくいかなくての繰り返し。

「わーーーーー」と叫びたくなる気持ちだろうなと相当に感情移入しながら読み進めるが、作者の作品にありがちな、登場人物の専門的能力が相当優れているとポイントに毎回驚かされる。日本では同い年の社会人がそれぞれの分野で、これだけ専門知識を理解し、それをフルに活用できるだけのネットワークを持ち、そして実現させる為の行動力を持っているのに毎回、背筋が伸びる気持ちにさせられる。

恐らく日本中の会社員が皆、このように熱い思いをもって仕事に向き合い、毎日、毎月、毎年、職業的向上を成し遂げながら、プロフェッショナルとして知識や経験だけでなく、それをどう実現させるかという社会的能力も向上させるような日常を送っているかといえば決してそうではなく、ほとんどの人間が楽な方に、少しでも楽をして稼げる方にと流れていってしまっているだろうと想像する。

そんな流れの中だからこそ、小説の中でも自らの背筋を伸ばしてくれる、緊張感を与えてくれ、自分の過ごしている日常を振り替えさせる優秀な人物にである事はとても重要な事であろう。いつの日にか自分達の建築が、同じように関係の無い世界の誰かが、専門的な価値を理解するのではなく、そこに注がれた情熱とエネルギーを感じ取り、日常の過ごし方の緊張感を感じる、そんな事ができたらきっとその建築は社会に受け入れられるのだろうと想像を膨らませる。

どこでも道路


実家に帰ってきて街中を車で走っていると、こんな田舎町にも関わらずどこに行っても綺麗にアスファルト舗装され、道路脇にはガードレールと道路標識がしっかりと整備されている風景に驚く。

データを見てみると、2008年の段階で日本の道路総延長距離はロシアやカナダよりも長く世界5位。

世界各国の道路総延長距離

日本の道路の総延長はどのくらいですか? 道路:道の相談室:道に関する各種データ集 - 国土交通省

その国土面積から考えても、一定面積辺りに占める道路面積でいったら間違いなく世界トップクラス。「道路大国」と呼ばれるのに相応しい長さの道路である。

そして問題はその数値に表れてこない道路の質と、道路周りの標識やガードレール、街頭などの付属施設の質。中国やロシアなどの大国では都市部のほんの一部を除いては道路が整備されているといっても、相当に質の悪く、凹凸はあり、ところどころはげてしまっており、もちろんガードレールも街頭も無く、道路標識などは何キロに一つという程度。そう考えてみると、道路一定距離あたりにかけられている費用で考えたら、恐らく日本は圧倒的に世界一であろう。

「道路族」という言葉が示すように、この国ではどこに儲けとなる利権が埋もれているか、それをどうやってうまく自分の儲けにつなげられるか、そういうことを必死に考える人がいて、またそういうことを考えさせたら相当に優秀なものだから、本当はもっと有益に使われるべき税金が湯水の様にそちらに流れてしまうのがこの国の形。

先日巡ってきた山陰地方の山間の集落。そんなところまでまぁ綺麗な道が通っている。間違いなく史上これほど国土を覆う網の目が細かくなり、田舎まで含め日本全国に道路という神経回路が張り巡らされては無い。旅行する身にとってはこれほど便利な事は無いが果たしてそれが本当に必要なものなのかといえば疑問である。

人の神経網も細部の細胞に血液と栄養を届けなければその細胞が死んでしまうからであり、どうにかして循環の一部に取り込まなければ全体が機能しないからである。そう考えると同じように、どんなに限界を迎えた集落でも、やはり全国の交通から隔離する事は出来ず、どうにかその一部に接合しているべきである。

しかし、それが世界のほかの国の首都のど真ん中にある道路よりも綺麗に整備され、過剰な周辺設備も付加されている必要があるかどうかはまったく別問題。恐らく余りに暗く、夜道の運転で事故が起こり問題が発生した時に責任を逃れるためにか、とにかく交通量などは関係なく全国共通仕様で纏めましょうということなのだと想像する。

住んでいる北京では、中心の紫禁城のすぐ脇の道でも、スクーターで走ってもボコボコな道だったりするが、恐らく山陰の山奥の道のほうがよっぽど綺麗な道になっている。間違いなくこれから限界集落を超えて極点集落が増加し、高齢者も減っていく縮小社会に突入していく日本。

その中で今までの経済体制、儲けや利権構造を守る為に、過剰に必要以上な道路を作り、また直して整備していくこの国の建設・土木産業の形。そんなことをしていれば、それはお金がかかるだろうし、本当に必要なところにお金が届かないというのもしょうがないと思わずにいられない。

2014年2月8日土曜日

スーパー銭湯の公共性

風呂好きの父親が、「最近できたスーパー銭湯の割引券があるから一緒にいかないか?」と誘ってくる。折角だからと風呂嫌いを公言している母親をおいて、妻と三人で出かける事にする。

地元には昔からあるスーパー銭湯があり、いつもはそこに足を運ぶのだが、今回は少し方角が外れた方向にできたという新しい施設。到着すると広い駐車場にはほとんど満車の車。

スーパー銭湯が郊外生活の一つのプチ贅沢に定着したのがモータリゼーションと融和したこの風景からよく感じ取る事ができる。日常の夜。夕食を食べた後の家庭で、「今日お風呂行くか?」と子供をつれてやってくる家族の姿。大人一人700円くらいなので、決して安くは無い金額であるが、毎日ではないからと少しだけ贅沢な気分になれて、なおかつ身体を伸ばしてお湯に浸かって、疲れが取れると自分に十分な言い訳を与えられる。

子供連れの家族が月に2,3回、一度につき2000円ほどの出費をすることで、恐らく十分施設的には利益を上げることができる仕組みになっているのだろうが、外食同様、通常家庭の中にあるものを外で行う事で少し豊かな気分に浸れるという、必要な日常の一部を外に持ち出すビジネスである限り、今後共間違いなく広まっていくだろうと思える業態であろう。

そんな間違いの無いビジネスだけに今後は競争が激しくなってくるはずであるが、そこに現れたのが二番手が、一体どんな手を使って差異化をしてくるのかと期待して暖簾をくぐる。

「500円の割引券をもらった」という父親がなにやら入口で戸惑っているようなので聞いてみると、これは通常700円のところ500円で入れますという割引券で、それを父親は500円割り引かれる券だと理解していたという。確かに分かりにくい表記をしてあるのでなにやら怪しいなと思いつつも料金を支払い妻と待ち合わせ時間を決めて中に入る。

脱衣場に入って気がつくのが、あちこちに張ってある「盗難注意」の張り紙。そして同時に張ってあるのが、「盗難については一切の責任を負いません」の文字。オープンから既に、何かしらのトラブルが発生したのかどうかは知らないが、明らかにトラブルに巻き込まれる事を回避することを目的とした張り紙。「忠告しましたからね。後はこちらは責任を負いませんよ」といわんばかりのその張り紙は見ていて少々気分が萎える。

流石に新しい施設だけあって風呂はなかなか綺麗で多様で、しかもそれぞれの風呂で共用のテレビが見れて、長く浸かっても飽きないようになっている。身体を洗い、一頻りそれぞれの風呂を楽しんで外に出て妻を待っていると、どうやら待合場所にはたくさんの子供向けのゲーム機が用意してある。どうやら甥っ子がはまっているという、魚釣りゲームもおいてあるようである。なんでも、お金を払うとより良い竿が手に入り、より大きな魚がつれるという課金方式のあれである・・・

見ていると浅はかなゲーム会社の姑息な手段にまんまと踊らされている無垢な子供達がダダをこねて親を困らせているようである。恐らくここに来ている家族の中には、子供があのゲームをやりたいが為に親にねだってこの銭湯に来ている人たちもいるのだろうと思わずにいられない。

自分で理性をコントロールできない子供をゲームで釣って、それをだしに家族を引き付けると言うなんとも古典的といえばあれであるが、そのようなビジネスモデルはますます下流化の流れを加速するだけでは?と思いながらなかなか出てこない妻を捜しに入口に。

カウンターを越えたところにも簡単な座れる場所があるので、ひょっとしたらそこで待っているのかも、と思い受付の人にそこまで人を探しに行きたいのですが・・・と聞いてみるが、「再入場は一切お断りですので」と頑なな態度。さっき中から出てきたところを見ていたはずだし、そこまでなら視界に入っているのでチェックもできると思うのだが、一切の例外は認めない方針のようである。

つまりは全てが性悪説に基づいて運営されており、「人は悪い事をするはずだ。だから先手を打って、こちらに迷惑がかからないようにしておこう。あとはそちらの責任です」というなんとも味気のない場所になっている。きっとそれでも十分利益がでているのだろうが、スーパー銭湯という少々わびしいが、残念ながらこれからの地方都市の地域の公共の場となる場所であるならば、少しは人間を信頼し、大らかな空間を作り出すことで問題を防ぐことができないのだろうかと思ってしまう。

どちらにせよ、二度と来る事は無いだろうし、またそんなに遠くない時期にここはつぶれるのではないだろうかと想像しながら、出てきた妻を連れ立って家路につくことにする。

2014年2月7日金曜日

下呂温泉(げろおんせん) 湯之島館 ★★



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前回の飛騨旅行では時間の関係で立ち寄ることが出来なかったこの下呂温泉(げろおんせん)。東海地方の温泉としては珍しく全国的に名が知れた温泉街であり、有馬温泉・草津温泉とともに、日本三名泉として知られている。

飛騨川沿いを中心に旅館やホテルが並び、飛騨山脈の中にぽっかりと開けたオアシスの様に湯気の立ち込めるよい温泉街を形成している。特徴的な下呂の名前は昭和以降に使われ始めた名称で、それ以前は「湯之島」と呼ばれていたという。ちなみに「湯之島」の地名は現在でも「下呂市湯之島」使われている。

そしてその「湯之島」の名を冠するこの下呂温泉の老舗旅館であるのが、「湯之島館」。昭和天皇・皇后両陛下がお泊りになったことでも有名な旅館である。下呂温泉で一番高い場所に位置するだけあり山沿いの道を随分曲がりながら上まであがると、斜面に沿ってへばりつくようにして経つ昔ながらの旅館の姿が目に入ってくる。


その姿を見ると、まるで「千と千尋の神隠しに出てくる湯屋の様な旅館だな」と思わずにいられない。増築された複数の棟が連なって全体を構成している、かなり大規模な旅館ということで、館内はレトロな休館からエレベーターを乗り継いでかなり上階まで上がる新館まで様々な雰囲気が味わえる。

日が暮れる前にチェックインできたので、まずは大浴場で汗を流し、折角なので温泉街を散策しにでかけることに。温泉街の一番上に位置しているので、かなり下まで降りていかなければいけないが、近道は近くに鎮座する「温泉寺」の境内を通る道だと教えられ、その通りに寺の境内を通って斜面に沿ってまっすぐに下りる参道の階段を下りていく。

下呂温泉だから「ゲロゲロ」で「かえる神社」・・・というなんともとんちの効いた観光地を巡り、川を中心に伸びるのんびりした温泉街の雰囲気を楽しみ、夕食に送れないようにと先程下りてきた急な階段を上り宿へと戻る。

夕食をいただくくらいから、今夜から明日にかけて相当な大雪に見舞われそうだということで、宿の中はかなりソワソワした雰囲気に。残念ながら下呂なら少々の雪なら大丈夫だろうということで、チェーンをもたず通常タイヤで来ていたので、受付で「雪が降ったときにタイヤのチェーンの貸し出しを行っているのか?」、「一番近くでチェーンが買える場所はどこか?」などと問い合わせるが、そのような対応はまったくしていないとのこと。

少しの雪でも積もったら、目の前の坂を下りてしたの温泉街にたどり着くのも一苦労になるのは目に見えているが、あまりに良く無い対応に諦めを感じ、もしものことを考えてお酒を飲まずに夕食をいただくことに。折角の飛騨牛も十分に味わうことが出来ず、気持ちはいつ雪が降り出すかにばかり行ってしまう。

食事を終えて天気予報を見ていても、状況は悪くなるばかり。下手すれば明日の朝を待たずに振り出しそうで、一度振り出したら恐らく車で移動することは無理そうだと様々なシュミレーションを繰り返す。電車で帰って後日車をとりに来るのも大変そうだし、雪が降っていない今のうちに下の温泉街にとりあえず車だけでも降ろしておこうかとまさかの温泉街での家族会議。

そんな議論の末に、結局残念だが今夜のうちに戻ってしまうのが一番安全なのではということで、最後にもう一度だけ温泉につかり、宿の事情を説明し深夜を待たずにチェックアウトすることに・・・

翌日には岐阜方面を廻って幾つか建築を廻る予定をしており、事前予約が必要なSANAA(妹島和世+西沢立衛)設計のマルチメディア工房には数週間前からメールでやり取りをして、4人で伺うと警備員にも連絡をしてもらっていたのだが、まずは無事に家にたどり着くことが第一と、深夜12時前に暗い温泉街を車で抜けていくことに。

1時間もしないうちにチラチラと雪が舞うようになり、本格的に振り出す前になんとか高速道路へと入ることが出来た。雪の影響はまだこちらまで到着してないようで、4時間ほどの運転で実家へと到着。ネットで調べるとその時刻には既に下呂ではかなりの積雪量となっている様子。

こうなったら少々不謹慎ではあるが、明日の朝に、「大雪で交通麻痺」というニュースを見て、判断が正しかったと思うことで中途半端に終わった温泉旅行を締めくくりたいと寝床に入ることにする。
























加子母村ふれあいコミュニティセンター 安藤忠雄 2004 ★



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所在地  岐阜県中津川市加子母
設計   安藤忠雄
竣工   2004
機能   コミュニティセンター
構造   木造
規模   平屋建(一部2階)
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中津川から下呂に向かう山間の道。今は中津川に合併されたが、町の人口は3400人足らずという小さなこの町にあの安藤忠雄設計の建物があるというので、休憩がてらに立ち寄っていく事にする。

細い道を曲がり到着すると、木造で作られた平屋の建物が広がっている。安藤忠雄と木造というのは余り印象に無いので、どのような建物かと期待していたが、どうやら機能的には過疎化が進むこの町のコミュニティセンターと呼ばれているがその実はケアセンターとしてリハビリなどに使用されていたりする様子である。

この加子母村(かしもむら)は東濃檜で有名な土地であり、林業が盛んな地域として知られ、その森林の一部は伊勢神宮の遷宮時に木材を納める「神宮備林」として江戸時代から管理されているという。

スギ集成材を用いたV字の柱が木造の建物としては開放的な長いスパンを作り出しているのがこの建物の大きな特徴のようである。全体をトラスとして捉えて壁からフリーにしているようである。全部が全部V字になっているわけでもなく、構造的に重要な場所に集中的にV字を配している様子。

機能的にケアセンターと管理棟、そして子供のための施設と分かれているのを、大屋根で一気に覆うという形をとっており、屋根にも三角形のスカイライトが設けられている。

どうも町の規模に対しては相当大きいと思われる施設規模と、今後は子供部分よりも高齢者部分の施設の需要が増してくるのではと思われる中での機能分割が適切なのかと思わずにいられない。

もう一つはどうしてもこの土地柄、「木造で」というのが設計条件になっていたのは想像に難くないが、代名詞でもあるコンクリートを使用せず、開放性を求めるのにスパンを飛ばせる鉄骨を使うことなく、あくまでも集成材での設計にこだわったようであるこの建物。

豊かな自然の残る地域での、平屋の木造の公共施設だと考えると、周囲の環境に対応した豊かな空間が作れるアプローチがもっとあったのではないかと思いながら次の目的地に向かう事にする。






馬籠宿(まごめじゅく) ★★



古代ローマの発展を支えたのは帝国内に張り巡らされた舗装された道路網。整備された道は馬車での移動を高速化する。統治する各地方で取れる産物や優秀な人材を、その道路網によって拘束で中心ローマまで輸送し、そこで価値の再分配を行い別の土地に届ける。道路を整備する膨大な費用を負担できれば、それは同時に帝国の更なる発展を意味してくれる。

その事を十分に理解していたのが戦国の世を制した徳川家康。関が原の合戦に勝利した翌年、新たなる価値の中心である江戸を中心とし、全国を結びつける5本に陸上交通路を整備する国家事業を開始する。それが五街道(ごかいどう)。

東海道:1624年完成。
日光街道(日光道中):1636年頃完成。
奥州街道(奥州道中):1646年完成。
中山道:1694年完成。 
甲州街道(甲州道中):1772年完成。

整備するとは具体的にどういうことかというと、一里(約3.9キロ)ごとに一里塚(いちりづか)とよばれる旅行者の目印として設置した塚(土盛り)を用意し、距離を正確に把握させる。また一定間隔ごとに宿場を用意し、街道沿いに新たなる宿場町というリニアな都市を作り出した。

その中で4番目に完成されたのが今回の主役である中山道(なかせんどう)。江戸の日本橋から草津宿まで本州中部の内陸側を経由する路線である。木曽山脈を抜けていく為に、「木曾街道」や「木曽路」とも呼ばれる。通過する土地は険しい山の中の道であり、現在の都道府県に当てはめると東京都・埼玉県・群馬県・長野県・岐阜県・滋賀県にあたる。

その中山道の中でも高い人気を誇るのが、43番目の宿場であり、木曽を通る宿場を総じて呼ぶ木曽11宿の一番南の宿場町である馬籠宿(まごめじゅく)。越県合併により岐阜県中津川市に編入され、石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(つまごじゅく)(長野県木曽郡)とともに良く知られている中山道の宿場町である。

その妻籠宿(つまごじゅく)は一つ手前ということで、中山道42番目の宿場となり、経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた町でもある。

そんな馬籠、妻籠の間は程よい距離で道も整備されており、中山道ハイキングと呼ばれ全長9Kmの徒歩2.5時間~3時間の距離なので、ゆっくり周囲の美しい木曽山脈の風景を楽しんであるける距離である。

そんな訳で、かつての日本の風景を楽しもうと立ち寄ることにしたこの馬籠。できることなら宿場町ということで、「一度は泊まりたい宿」にあげられている幾つかの昔ながらの宿を見て回りたいところだが、流石にそれは同行者の手前時間が許されず、道中よってきた中津川の有名和菓子屋で教えてもらった蕎麦屋さんに向かうことにする。

細く伸びた宿場町は上と下で随分高低差を持っており、まずは教えてもらった蕎麦屋があるという上に向かうことにする。その宿場町の規模を見ると、かつては相当に栄えていたのが伺える。残念ながら蕎麦屋を訪ねるが休みのようであり、どうも平日はほとんど観光客が来ないので飲食店のほとんどが閉まっているようである。

観光客が訪れる時期にに一気に稼ぐということか、地元に人に聞いて見に行ったお店も閉まっていて、しょうがないので下の入口に戻り整備された観光センターのようなところで、台湾からの観光客と一緒になって食事をすることに。

「次の宿場が妻籠なんで、折角だからそこまで行きたい・・・」といえる雰囲気ではなく、早く宿に行こうという妻からのプレッシャーの為、しょうがないので美味しい蕎麦と堪能し、車を走らせ中津川に戻り、そこから下呂方面へと向かうことにする。






岩村城(いわむらじょう) 1185 遠山景朝 ★★



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所在地  岐阜県恵那市岩村町城山
城郭構造 梯郭式山城
別名   霧ヶ城(かすみがじょう)
築城主  遠山景朝
築城   1185年
機能   城郭
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6日間の自由行動を終了し、最寄り駅で東京の実家でゆっくりしていた妻と合流し、実家で久々の両親との水入らず。折角なのでと企画していた岐阜地方への温泉旅行の為に京は朝早くから出発することに。

折角その地方に行くのなら、行程上にマッピングされている他の目的地に寄っていったほうが皆も退屈しなくていいじゃないかという理論で、幾つか設定された立ち寄り地の最初の目的地がここ岩村城(いわむらじょう)。

GoogleのCMのせいで「日本のマチュピチュ」のイメージをすっかり竹田城(たけだじょう)に持っていってしまわれた感があるが、その竹田城よりはるかに昔に険しい地形を利用し、その地形を拡張するかのように張り巡らされた石垣によって守られたこの岩村城は付近に霧が多く発生するために、別名・霧ヶ城(かすみがじょう)とも呼ばれ、「元祖日本のマチュピチュ」と呼ぶに恥じない城である。

戦国時代に防御の為に、木曽山脈の深い山の中に築かれたこの城は、全国でももっとも高いところに築かれた城として知られ、日本三大山城に名を連ねている。因みに他の二つの日本三大山城とは、下記の二つ。

備中松山城 (岡山県高梁市)

高取城での酷い経験を思い出しながら、今回は同行4人ということもあり、簡単に城に到着できることを祈りながら山道を進む。かつての城下町と思われる開けた観光地まで到着するが、どうやったら城までいけるのかあまり丁寧に案内がされていない。しょうがないので車を停めて地元の人に聞いてみると、まだ暫くまっすぐ道を進むという。

言われたままに車を進めると、数分もするうちに脇道への案内がでて、細い山道に入っていくとがけ崩れの為にこの先通行止めという看板が見えてくる。しょうがないので車と停めて、この先どのくらい歩けば城の到着できるのか説明してない案内板にイラつきながらも山道を上がることにする。

車に残る母親を置いて、着いてくるという父親と妻と一緒にかなり急な山道を上がっていく。暫くカーブを進んでも一向に見えてこない城の姿に、少々怪しい雰囲気になり始めた後ろの二人・・・しょうがないので、「どれくらいで着くのかちょっと先に行ってみてくる」と小走りで坂を駆け上がる。

するとすぐに石垣の一部と思われるものが見えてきて、その横には矢印を案内板が。「あったよー」と後ろの二人に声をかけ、その場で待っていると、暫くしてゆっくりと上がってくる二人。「どうやら、この先に石垣に登れる場所があるらしい」と説明する場、二人はここで引き返すというので、「ちゃちゃと見てくるよ」と言い残し先へ進むことに。

するとすぐに開けた場所が現われ、右手に回っていくと縦に切り立った石垣沿いに上がっていける石階段。「ほぅ、なるほど」と納得しながら、かなり立派な地形を上手く利用した石垣郡の間をすり抜けながら上に上がる。

するとパッと景色が開け木曽山脈が遠くに見えるようになる。岐阜圏内では岐阜城とこの岩村城跡の2箇所だけが100名城に選定されているが、それも納得の名城である。城跡で整備されていなくても、これだけ周囲の地形に適応しながら、この場に大きな勢力があったことをその跡からも理解させてくれる力を持った城跡である。

同行の三人を退屈させないようにと、さっさと見学を切り上げて、帰りも駆け足で石垣を下りていくことにする。