2013年10月31日木曜日

ドラマ 「半沢直樹」TBS 2013 ★★★★★

世間から遅ればせながら、流行のドラマをざっと見終える。

世間がこれほどまで熱狂したのに素直に納得。これだけの視聴率を誇ったというのは、今までドラマを見ることのなかった世代を完全に取り込んだのが大きいのだろうと想像する。その内容から言って、週末のコンパに期待を膨らませ一週間を過ごすようなOLさんが見るような内容でもなく、「社蓄」という言葉を自虐的に使っているような30代から50代までのサラリーマンの心をガッツリ掴んだ事は間違いない。

しかし中高生が見てもまったく面白くもないであろうドラマがこれほどまでに高視聴率をとるということは、結局テレビは大人が見ているんだと改めて思い知る。一週間、生きていくことで溜まる数々の鬱憤を発散させないと次の月曜日を向かえられない世の男性が、妄想の自分を投影させる倍返し。

原作著者の他の作品を見ても、相当取材を重ね、業界に深く入り込んで書いているので、そんなに突拍子もないことはないのだろうと思われる。なので返って思うことになる。エリートとして描かれるメガバンクの銀行員。この人たちは毎日こんなことばかりやっているのか?と思わずにいられない。そのほとんどが職業的向上には一つもつながらないことばかり。そればかりではなく、会社の利益を一つも生み出さない行為ばかり。これでどうやって会社が利益を上げられるのだろうかと思わずにいられない。

資料をざっと見ただけで、特許申請の甘さを指摘し、どう修正するかが分かるくらいなので、恐らく銀行員としては相当に優秀な設定なのだと思うのだが、時間を費やしているのは、まともな会社であれば会社にとっても自分にとってもプラスになることへのチャレンジであるのだろうが、描かれるのは本来必要の無いマイナスを少しでも減らすことばかり。

恐らく主人公の設定であれば、年収が1千万を超え、プラス、社宅や福利厚生に家族手当、使用できる経費や将来の退職金、厚生年金などを加味すると恐ろしいほどの年間報酬を手にしていることになる。本質の業務とは関係ないことで忙しそうなのにも関わらず、剣道をやる余裕もあれば、家で夕飯をしっかりと食している。

考えれば考えるほど、どうやって会社として利益を出し、これだけの報酬を何万という社員に保障できるのかと思わずにいられない。それほど、巨大企業というシステムがある種自動的に利益を生み出す構造になっているのだろうか。全ての社員が多かれ少なかれ同じように業務に追われながらも、属する派の社内政治に奔走し、足の引っ張り合いに精を出す。

一度でも失敗したら出向で、二度と銀行員には戻れないというらしいが、通常の世界なら失敗したら職を失うだけで、やはり世間とはかなり感覚がずれているのか、それとも一流企業とその他とはそれほど大きな格差が横たわっているのかと考えるとゾッとする。それどころか、それほど会社に不利益を与えたら、普通刑事事件となって社会的に抹殺されるだろうと思うのだが、それくらいの傷は隠蔽しておいた方がまだましという、とにかく一般人とは違った思考回路に驚くのみ。

研修や昇進試験、課せられるセミナーや日常業務の中で、それでも銀行員としての職能は上がっていくのだろうが、ある年齢から上になれば、その費やす時間の多くがこうした社内政治に向かっていくのが大企業のサラリーマンということか。

毎朝一時間以上電車に揺られ、ついた会社で神経をすり減らしながらこんな社内政治に振り回され、くたくたになってまた電車に揺られる。そんな日常で職業人としての能力向上なんて到底求められるものではないのだろうと想像を巡らせる。
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ジャンル テレビドラマ
放送期間 2013年7月7日 - 9月22日(10回)
制作局 TBS
原作 池井戸潤
『オレたちバブル入行組』
『オレたち花のバブル組』
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出演者

堺雅人
上戸彩
及川光博
片岡愛之助
滝藤賢一
笑福亭鶴瓶
北大路欣也
香川照之

第一部・大阪編
中島裕翔
宇梶剛士
壇蜜
赤井英和
石丸幹二

第二部・東京本店編
吉田鋼太郎
前川泰之
利重剛
駿河太郎
倍賞美津子
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2013年10月30日水曜日

コンサート 「Pascal Schumacher Quartet」 愚公移山 2013 ★


顔の広い友人を持っていることは非常にいいことだ。友人のドイツ人の知り合いで、ルクセンブルク大使館に勤めている人からのお誘いということで、ルクセンブルク出身のジャズ・カルテットのコンサートのチケットを希望者に用意してくれるというから、興味があるかと誘われる。

建築家といういつ仕事が終わるかてんで読めない生活をしていて、平日ということもあり、返事を渋っていたら、「なんでも随分有名で、普通に購入したら結構高いらしいし、夜の21時から開始だから大丈夫だよ」というので、名前を入れておいてもらう事にする。

ルクセンブルク出身のヴィブラフォン奏者パスカル・シューマッハ(Pascal Schumacher)率いるジャズ・バンドが 初の北京公演で愚公移山(yú gōng yí shān)で行われるという。

ルクセンブルク、ヴィブラフォン、パスカル・シューマッハに愚公移山。流石に普段馴染みのない世界に足を踏み入れようとすると、これまた馴染みのない言葉でに出くわす事になる。

さてまずはルクセンブルク。小さい国だが、とにかく金持ちというイメージしかなかったが、折角なので簡単に調べるとなかなかの国らしい。面積は神奈川と同じくらいのサイズで人口約50万人という政令指定都市規模にも関わらず、低税率で低失業率を保ちながら、国民一人当たりの実質所得は世界トップクラス。

国としてはスイス同様に永世中立国の立場を取り、ユーロ圏におけるプライベート・バンキングの中心地としてスイスに匹敵する規模を持つという。そして国の主要産業は重工業と金融の二分野。特に金融分野は労働人口の5分の1を占めるほどの雇用を作り出しているという。

南にフランス、東にドイツ、北にベルギーという隣国を抱えるだけに言語もドイツ語、フランス語、ルクセンブルク語が使われ、小国としてなんともうまく周辺隣国と立ち回っているようである。そういう訳でヨーロッパの中の豊かな国・ルクセンブルクというのは理解する。

その次にヴィブラフォン。高校の同級生の中に音大に進んでヴィブラフォン奏者になった人がいて、数度そのライブに誘われて足を運び、そのビジュアルと如何にも響きそうなその名前は覚えていた。木琴の様な鍵盤の上を両手に二つずつばちを持って激しく叩くその動きを見ながら、両手で違う動きをするのも難しいのに、さらにばちの感覚を調整しながら4つの音をコントロールするとはどういう神経をしているのだろうと思った事を思い出す。

そしてパスカル・シューマッハ(Pascal Schumacher)。ネットで調べるとなかなか注目の音楽家のようで、東京のコットン・クラブでも演奏をしているようである。そのページを調べると、なかなかお高いチケット代に驚くことになる。それだけ日本のジャズに対する認知度が高いからなのか、それともどこかでコストが上がってしまっているのか、それともこの北京での演奏がビジネス度外視のものなのか。

最後に愚公移山(yú gōng yí shān)。聞いたことがなかったが、オフィスで聞いてみると結構知っているスタッフがいる有名なライブハウスだという。普段は結構パンクなバンドが演奏をしているようであるが、オフィスから距離も近いので今後はちょくちょくチェックしに行ってみる事にする。

そんな訳でどんな会場かも分からないので、用意していてもらっているチケットを受け取る為にと開演30分前の20;30に到着するが、会場はガランとしている。ライブハウスというだけあって、赤く塗られたコンクリート剥き出しの壁に貼られた様々なバンドのポスターが如何にもな雰囲気を醸し出す。受付で名前を言ってチケットを受け取り、「本当に21時に始まるのか?」と聞くが、「その予定だ」と言われるのでしょうがなく中のバーカウンターでビールを飲んで待ってみる。

21時近くなってもポツポツという感じでしか集まってない客を見て、なんとも怪しい雲行きを感じながら再度受付で確認すると、「少し遅れるかもしれない」というので、一度外にでて簡単に食事を済ませて戻ったのが21時半。それでも演奏は始まっておらず、会場もいまだパラパラ。

誘ってくれた友人の姿を見つけ、その同僚と言う数人を紹介されて、雑談をしているうちにやっとバンドメンバーが姿を見せる。演奏自体は、ドラマーが買い物に使われる安いビニール袋を取り出して、それを両手にドラムを叩きだすなど、かなりエキセントリックなところもあり、後ろで友人が思わず噴出していたりと、「これがルクセンブルクか・・・」と自分を納得させるしかないレベル。

最後の曲に、TravisのSingをカバーした演奏が行われ、ロンドンで大学院に通っている時に何度も何度も聞いていたのを思い出す。10年以上も経った今、まさかこんな場所でこうして耳にするとはと、音楽の偉大さを改めて実感する。

演奏も終わり、バンドの挨拶の時点で紹介されたのは、前の席に何ともカジュアルな姿でリズムを取っていたおじさんがルクセンブルクの中国大使だということ。小国なりの豊かさと生き方をしっかりと見につけている国と国民。いつか実際に行ってみたいと思いながら、会場を後にする。







2013年10月29日火曜日

Museum Boijmans van Beuningen Competition


夏の終わりから進めていた国際コンペ。

オランダはロッテルダムの、建築家協会・通称NAIの建物と、クールハース設計のクンストハルに囲まれたミュージアム・パークという敷地を利用して、隣接するベンジャミン美術館の倉庫機能を分離して、増加する収納作品に対応すべく、アート作品の保存に関する補修や梱包などの機能を満足し、かつこうした美術館のバックヤードとしての機能を一般に公開し新しい美術館のあり方を模索するというコンペ。

世界各国から応募された書類審査を経てショートリストされた5組の建築事務所によって争われるコンペで、ショートリストされた事務所は以下の5組。

MVRDV
Architectenbureau Koen van Velsen
Harry Gugger Studio / Barcode Architects
Neutelings Riedijk Architecten
MAD architects / NIO architecten / OKRA landschapsarchitecten

我々は地元ロッテルダムのNIOという建築事務所とチームを組んで、更にOKRAというランドスケープ事務所もチームに入りオランダと中国の距離と時差を克服しながら設計を進めてきた。

そのコンペ案提出が今月中ごろにあり、国慶節という大きなハンデを追いながらもなんとか満足できる案に纏め上げ、提出を追え、全ての点で問題なく受理された。その5組の案がオランダの建築ニュースサイトにアップされている。

Ontwerpen collectiegebouw Boijmans openbaar - architectenweb

コンペという数ヶ月の間に、その土地、周囲の環境、プログラムに関する考察、同様のプログラムを持つ参考建築に対する分析、要求面積の解き方、ボリューム・スタディ、構造方式とコストのバランスなどなど、とにかくこのコンペに参加しないと決して知らなかったような知識や領域に踏み込む事になる。

何もないところから、建築のプログラムを解きながら、空間を作り、都市に与える印象を調整し、産みの苦しみを味わい、チームの中での葛藤と、協力会社との間での葛藤を繰り返しなんとか一つの案にたどり着く。その距離は本当に果てしない。

11月の中ごろに現地でそれぞれの建築事務所によるプレゼンが行われ、すぐにでも結果が分かる事になっている。建築を始めて二年目。どうしても見たかったクンストハルを見る為に、なんとかやりくりして足を運んだロッテルダム。そこで体験したNAIの建物周辺の空間の豊かさと、それをしっかり日常の中で享受している人々の姿。

あの日から15年。同じ場所で自分達の建築を作る事ができるかも知れないチャンス。相手はかつて働きに行こうと思っていたMVRDV。相手にとって不足無し。後は良い結果がもたらされるのを待つのみか。

2013年10月27日日曜日

北京古代建築博物館 (先農壇) 1532 ★★★


天壇(天坛)脇の北京自然博物館を後にして向かったのは本日のメインの目的地である北京古代建筑博物馆。

この博物館はその名の示すとおり、長い歴史を誇るこの国を支えてきた様々な時代の建築様式、それらを図や写真、模型などを使い、その豊かな歴史を知ることができる建築家にとってはとても興味深い博物館である。

という以上に、その場所自体がとても貴重な場所である。

龍潭公園(龙潭公园)でも触れた様に、北京には九壇八廟(jiǔ tán bā miào)という歴史的に重要な場所を示した言葉があり、その壇の中でも極めて重要だった5つの壇・五壇を天壇、地壇、日壇、月壇、先農壇と言う。

そして最後の壇である先農壇(先农坛 xiān nóng tán)がこの博物館の敷地内に残っている。というよりも、先農壇を整備し1991年古代建築博物館として一般に公開されるまでは、ここはとても神聖な場として、風水都市北京の重要な役割を担ってきたという訳である。

中国語の説明によると

先农坛内的建筑是明清两代逐渐完善起来的。最初的建筑叫山川坛,据《明成祖实录》载:“永乐十八年(1420)十二月,山川坛成。”与此同时还建有太岁坛、风云雷雨、五岳、四海等13座祭坛。嘉靖十一年(1532)建太岁殿。同时还建有天神坛、地祗坛等。

と言うことで、明時代(míng)、清時代(qīng)の皇帝が神を祭った壇であるというが、明時代の首都は元々南京であり、最初の50年を過ぎた1421年に北京に首都が遷都され200年以上王朝が存続する。

先農壇の字から見て取れる様に、農業を国の基盤としていた時代の王朝では、秋にしっかりと収穫を得られることが何よりも重要なことであり、そのために春に豊作を祈り、秋に収穫を感謝する風習が儀式化され、皇帝が行う儀式がこの壇の上で行われるようになる。

そんな訳で、まずは南京に同じことを意図した壇が作られそれは「山川壇」と呼ばれたという。そして北京に都を移した後に同じことを目的として作られたのがこの先農壇であり、その建立は1532年という。

九壇八廟のなか五壇に選ばれなかった残りの4つは?となると

太歲壇(太岁坛) tài suì tán
祈穀壇(祈穀坛) qí gǔ tán
先蠶壇(先蚕坛) xiān cán tán
社稷壇(社稷坛) shè jì tán

となり、その中の太歲壇(太岁坛) tài suì tánはまたの名前を太歲殿(太岁)といい、この先農壇の中に位置し、建築物として中に入ることが出来る。つまり九壇の中の二壇が体験でき、しかも中国建築の歴史と成り立ちを十分に理解でき、なおかつ広い敷地にまばらな入館者というとても静かな環境で見学ができる、とてもお得な場所である。

日本で学ぶ中国の歴史は「殷yān」から始まるが、どうもこの国ではその前の「夏xià」を起源と捉えるようで、建築の歴史も原始時代から夏王朝を経て・・・という説明になっている。

国土の広い中国なので、様々な気候地域にまたがりながら、地形的にも多種多様な場所でその場のゲニウス・ロキに対応するように成熟していった建築の成り立ちが模型などでよく見ることが出来、書籍などで見ている知識が立体を伴ってより良く頭に入ってくる気がする。

特に各時代の建築様式を特徴付ける斗栱(ときょう)の図形とその模型などを見てみると、ドリス式・イオニア式・コリント式と古代ギリシャの様式を決定付けるのもやはり水平と垂直の力の流れを決定付ける交差部の処理の仕方がやはりその時代の建築の形式を決定付けるのは西も東も同じなのかと納得し、決して楽しいものではなかった日本建築史の同じ内容も、今こうしてみると、また別の角度から興味が湧いてくるから不思議である。

同じように北京の胡同で見かける四合院という中庭を囲む建物形式の門の形状を、模型と一緒になって解説していたり、碁盤の目といわれるグリッド上の都市の成り立ちを風水思想と一緒になって解説していたりという図や表を見ていると、いやがおうにもテンションがあがり、期待以上に楽しく、「こういうバリバリの神の視点という都市計画は、経済ばかり追い求めてきた上海にはありえない風景をつくってきたんだな・・・」とすっかり北京人気質になりながら次から次へとカメラを向ける。

恐らく中国語で建築の歴史、風水などの本を数冊買えば同じようなことは解説してあるのかもしれないが、これだけ立体物に囲まれて理解を深めることができるのはやはり博物館の醍醐味であり、それがこうした贅沢な空間に囲まれているというにもまた悠久の都・北京の懐の深さであろうと思わずにいられない。

これが15元の入場料で体験できるなら、次は妻も連れて是非ともゆっくり壇の上で空を見上げながらかつての皇帝の視線に思いを馳せるのも悪く無さそうだと思いつつ、そろそろオフィスに向かうことにする。









































北京自然博物館 1958 ★


先週末、スクーターでどこまで行けるのか?をテストした結果、天壇あたりまでなら、なんとか電池が持つことが分かり、これはいいと予てから行こうと思っていた自然博物館と古代建築博物館をマッピングする。

午後からオフィスに出なければいけないので、できるだけ午前中にやる事を済ませ、電池の浪費を控える為に最短ルートを頭に入れていざ出発。

さてこの北京自然博物館。2011年に現在の旧館の南に新しく新館を拡張するというコンペが行われ、我々MAD Architectsも案を提出した経緯があったので、風水都市の南北軸に沿う様にして建つその博物館をいつかゆっくり中を見物しようと思ったいた建築である。

皇帝が天との交信を行う天壇のすぐ隣に位置するなんとも素晴らしい立地。恐らく風水都市・北京を強化する意味でも配置計画がされたに違いないと期待を膨らませてマスク防備しスクーターを飛ばして到着する自然博物館。

横の駐車場にスクーターを停めてチケット売り場に向かうと、書いてあるのは予約がある人はこちらへ」の文字。「何?予約制?」と心配になり聞いてみると、身分照明証があれば当日の予約も可能だという。そういう訳でとなりの3番窓口に並び、こちらの保険証を提示すると引換券を渡してくれる。その券を持って先程の窓口に行くと、チケットらしきものを手渡してくれる。案内には15元と書いてあるので支払おうとすると、「入館は無料で、特別展示だけ有料だけどそれは中で払ってくれ」という。

なんとも分かりにくいシステムだなと思いながらも「それはいい」とゲートを潜って中に向かう。流石に子供を連れた家族の姿が多く見られる。自然博物館といえばナイト・ミュージアムと思ってしまう自分は、入り口には背の高い空間と大きな恐竜の化石を期待してしまうが、なんとも寂しいエントランス空間。

迷わないようにと右回りに巡っていくと早速様々な動物の剥製が壁に飾られ、蝶や昆虫の標本が目に飛び込んでき、少々テンションが上がってしまう。NYで訪れた本物のナイト・ミュージアムは確かに夜中に動き出しそうな迫力とディテールを持っていたが、流石にそれは期待すべくも無いようであるが、ビジュアルだけでもそれなりに楽しめるのが自然博物館。

一番の見所は恐竜パークと呼ばれる3層吹き抜けの展示空間。かつての地球を模した舞台で、等身大の恐竜が首を動かしながら上部で木々の葉っぱを食べている。良く見ると顎の塗装が剥げていたりと粗を探したらきりは無いが、あっちをみてもこっちをみても、恐竜が自らの存在を認識しないように食事に励んでいる姿は迫力満点。

有名なもう一つの見所は敢えて見ることをせずに、地下にいって何とも寂しい水族館のミニチュアを見学し、そこそこ満足をして建物を後にする。それでも無料でこれだけのものが見られれば、子供ができたらまた来てもいいか思える場所であろう。