2013年5月31日金曜日

メルボルン Melbourne Day 2


朝一番のセッションでのレクチャーになるからとどうしても遅れることもできないし、できればその前に最終の確認もしたいしということで、朝食もそこそこに会場入り。

最終の調整で何枚か削除したプレゼン資料を担当者に渡して会場へ。好天に恵まれたこともあり、会場入り口は多くの人で埋められている。大ホールの一番後ろの席に座ってみるものの、どうにも周囲のせいで落ち着かないために、再度スピーカー控え室に戻ることにする。

会場では開会の挨拶などが行われているようだが、緊張を取り除くために廊下を歩きながら「ブツブツ」練習をしていると、担当者が「必要だったら静かな部屋を使ってください」と声をかけてくれるが、「歩きながらの方が良く考えられるから」と再度歩いてはブツブツを繰り返す。

そんなこんなをしていたらあっという間に時間が過ぎ、一緒のセッションでレクチャーをするスペインの建築家ホセ(Jose Selgas)と一緒に壇上にて流れの確認。どうにもマックで準備した彼のプレゼン資料がうまくいかないらしく、技術担当者とやり取りをしているので嫌な予感がしたが、主催者が駆け寄ってきて、「繰上げで最初にレクチャーしてくれないか?」と聞いてくる。

嫌なものから先に食べる性質なので、というわけではないが、どうせ緊張して時間を過ごすなら、さっさと終えて楽になってしまったほうがいいかということで、トップバッターで壇上へ。壇の上からは暗くて見えないかと思っていたが、比較的クリアに1200人の聴衆の姿が見えて、「ほぅ」と思いながら準備したプレゼンを開始する。

厳しいスケジュールなのできっちり40分以内で終えてくれ。と厳しく言われていたので、アイフォンで時間を計りながら、ポイントを明確に話していくと結構時間がなくなってくるが、最後はなんとか帳尻を合わせてほぼ40分ぴったしでレクチャー終了。大きな拍手の中ほっとした気分で壇を下りると、他のスピーカーから「良かったよ」と声をかけてもらってやっと一息。これが最初に終えてしまうものの特権だと、解放感たっぷりで他のレクチャーを耳を傾ける。

ホセはマドリッドをベースに活躍するSelgasCano Arquitectosの協同主宰者であり、自ら開発に携わる半透明のプラスチックを使ってのプロジェクトで知られる。のっぽさんのような風貌でどうも愛嬌がある人である。自らの設計事務所を森の中に設計した「office in the woods」はとても好きなプロジェクトだったので、彼らの作品だと知ってがぜん興味が出てくる。

セッションが終わるといろんな人にも声をかけてもらいながら、会場に併設された建材フェアの一角に出店している建築専門の書店のブースで、自分達の出版物への簡易なサイン会を行い、こちらで勉強する建築学生などが購入してくれて言葉を交わす。

そんなこんなでランチもそこそこに、主催者側がセッティングしてくれていた地元メディアからの取材を30分ほど受けて、午後のセッションを聴衆。

続いては、オランダからセザール(Cesare Peeren)はsuperuse-studiosを主宰し建築の作られ方に疑問を投げかけ、地球規模のスケールで建築だけに囚われず建材のリサイクルをテーマに設計を続けているようで、ジェット機の座席を再利用してホールを設計などしているらしい。

その次のエマ(Emma Young)は、オーストラリアをベースに活躍するPHOOEY Architectsの主宰者の一人であり、こちらもまた建材のリサイクルを一つの売りとして設計を行っているようである。

このセッションが終わると、また今度は地元のビジネス誌の記者から取材を受け、かなり厳しい質問にあたふたしながら、撮影などをこなしたらもうすぐに次のセッションが始まる時間。

本日最終のセッションは、カレイ(Carey Lyon)はLyonsというオーストラリアでも特に大きな設計組織のトップであり、如何にも地元建築業界の名士といった感じで、最近手がけたメルボルン中心地に位置する、RMIT大学校舎などのプロジェクトをプレゼンする。

その次はフランスからマニュエル(Manuelle Gautrand)で、Manuelle Gautrand Architectureの主宰者である女性。こちらもファサードに使う外装材に対して様々な試みを行っている建築事務所である。

セッションの最後には、ナダー(Nader Tehrani)が今日一日の統括をして、脳をクタクタにして一日目の全てのセッション終了。

「今日は皆疲れてるだろうから」という主催者側からの気配りで、本日の「Speaker Dinner 」はホテルにて行われることに。19時に1階のレストランに集まってきた面々は、今日でレクチャーを追えた解放感たっぷりのメンバーと、まだ明日を控えるメンバーで分かれているかのようにも見える。

流石に一日以上一緒にいるので、それぞれ顔と名前も分かってきて会話も弾み、お酒も進む。程よい疲労感と解放感を感じながらディナーを楽しみ、日本の様に締めの挨拶がある訳でなく、皆思い思いのタイミングで席を立っては部屋に帰っていくので、我々も疲れたからということで部屋に帰ってメルボルン二日目を終了する。





















Lecture at the National Architecture Conference Melbourne


秋の気配を感じるメルボルンの街にて開催された、年に一度の建築家協会主催のカンファレンスにて、なんとか無事に講演を終えてくる。



二日間のイベントの最後に行われた全ての講演者が参加するパネル・ディスカッションにても、「高度な英語」による質問を投げかけられながらなんとか無事に終了する。

1200名のオーディエンスの前での40分の講演。そしてどんな質問が飛んでくるかと緊張感を持って望むパネル・ディスカッション。

世界の一線で活躍する他のスピーカーの刺激的な話を聞きながらも、自分達の進む道を再度確認する。

現地のメディアによる幾つかのインタビューとオフィスの出版物へのサイン会など付随イベントをこなしながら、夜はスピーカーや地元の建築家達とお酒を飲みながら時間を過ごし、結局朝から晩までフルで普段使っていなかった脳の部分を動かすことになる。

解放感に浸るクロージング・パーティーで、各地に戻っていくスピーカー達と再会を約束し、やっと訪れた自由時間を使って夜のメルボルンを散策し、明日から訪れるシドニーの青空に思いを馳せる。









2013年5月30日木曜日

メルボルン Melbourne Day 1


北京からメルボルンへは直通便が無いので、北京を午後の3時に出て、2時間のフライト後上海到着。1時間半のトランジットを経て同じ機体に再度搭乗し、今度は12時間のフライト。

この世の終わりかの様に泣き叫ぶ赤ん坊がいなかったのが何よりで、妻と二人ともなんとか眠ることができて思ったよりも疲労を感じず朝の8時に到着したメルボルン空港。入国審査で前に並んでいた中国人夫婦がまったく英語が喋れないので、係員から「どうにか伝えてくれ」と言われて、子供の分も入国カードを書かなければいけないんだと中国語で伝えながら、何とか無事にオーストラリア到着。

主催者側が手配してくれて、運転手がカードを持って迎えに行くからというが、簡単に見つかるだろうか?と心配していたが、日本の地方空港くらいのサイズの空港で、あっさりと気の良さそうなでっぷりとしたおじさんがアイパッドに名前を表示して待っていてくれた。

随分とおしゃべり好きな運転手のようで、メルボルンの成り立ちは金の採掘が始まりで、その時から労働力として中国人が雇われていたから、中国人コミュニティーは根付いているんだとか、オーストラリア人はとにかくスポーツが好きで、サッカーは退屈だから人気が無いが、オージー・フットボールというラグビーとサッカーのあいの子みたいなスポーツがとにかくエキサイティングで人気があるとのことや、メルボルンの街はCBDと呼ばれる中心地は便利だが、最近ではディベロッパーが郊外に4つエリアを設定して、それぞれでショッピングモールや学校など生活インフラを整備したので、そんなにCBDまで出てかなくてよくなったということなどなど。

まだちゃんと目覚めていない頭をなんとか働かせながら会話を続けること30分。いかにも街中という感じで風景が変わって高層ビルの立ち並ぶエリアの南に走る川を渡ってホテル到着。

「今日の夜には、オープニング・パーティーでまた迎えに来るから!」

と陽気に帰っていく運転手と別れ、アーリー・チェックインにしてもらっていたホテルの部屋に落ち着き、時間に余裕があるからということで、手足を伸ばして暫しの熟眠。

夕方起きて、すっかり軽くなった身体と頭を感じ、身支度を終えて明日からのカンファレンスが行われるホテルに隣接されている「Melbourne Convention & Exhibition Centre」まで下見をしにいくことにする。

大きなコンベンション・センターの様でそこかしこで様々なイベントをやっていて、明日からのオーストラリア建築家協会のイベント出席者だということで、準備中の関係者部屋へと通してもらい、メールでやり取りをしていてくれた担当者と挨拶を交わす。

本番が行われるメインの会場を案内してもらい、1600人収容の大ホールで明日は1200人が来場予定だという言葉に徐々にプレッシャーを胃に感じながら、夕方にホテルに迎えに車が迎えにいくからというので、それまで会場周辺を散策することにする。

どうにもこの時期は秋の始まりらしく、オーストラリアの印象である青空は見えることができず、ひたすら降ったり止んだりを繰り返す雨空の下、川沿いを少しだけ歩いてみると、やはりロンドン風の建築が人気のようでまるでテムズ川の風景のようだなと思いながらホテルに引き返す。

18時からSean Godsell設計のRMIT DesignHubという建築の学校の屋上で、オープニング・パーティーが開催されるというので、妻と連れ立ってホテルのロビーで待っていると、続々と他のスピーカー達や関係者達が集まってくる。

挨拶もそこそこに、タクシーに乗り込むと、アメリカのMITの建築学部の学長を務めるナダー(Nader Tehrani)と、同じくアメリカのコロンビア大学の建築学部で教鞭をとりながら、建築とアートの間の活動をしているジョージ(Jorge Otero-Pailos)と同乗し、挨拶を交わして目的地に向かうことに。

生憎の雨ということで、屋外テラスが使えずに、建築学部の最上階を使ってのパーティーはすでに現地の建築家でごった返している。今回のイベントのダイレクターの一人で、色々とやり取りをしてくれていたジョン(John de Manincor)は、日本の四日市に高校時代に留学していたということもあり、少しだけ日本語が喋れて、我々の為にと懐かしの学生服を着てきて、妻と二人でなかなか馴染めないなりに、出されるシャンパンと牡蠣を味わいながら、地元の若い建築家と話をしながら楽しい時間を過ごす。

下の階に下りるとそこは建築学校というだけあって、学生達の作品が展示されていたり、まだ作業をしている学生がちらほらしていたりと、なんだかかつてのAAで過ごした自分の学生時代を思い出す。

8時からはWelcome Speaker Dinnerと銘打って、主催者と明日からのイベントに参加するスピーカーのみで特別な場所で夕食だと聞いていたので、流石にこれには妻を帯同するのは気がはばかれるかと思っていたが、主催者側から「来れるならぜひぜひ!」といわれるので、ひょいひょいと妻も一緒に連れて行くことにする。

タクシーの乗せられ揺られること20分。到着したのはいかにも雰囲気の良さそうな住宅街。聞けば、メルボルンの有名な建築家であるロビン・ボイド(Robin Boyd)が1957年に設計したBoyd House IIというもので、今はRobin Boyd Foundationとしてこういうイベントなどに貸し出されるという住宅。

とてもシンプルだが、良質な中庭と特徴的な断面によって空間が構成されて、皆興味深そうに家のあちこちを見学し、一段落したところでディナーが開始。数日前まで建築家協会の会長を務めていたというシェーンを労い、そして明日からのイベントの成功を祈って乾杯。

オーストラリアらしくがっつりとしたラムを、濃厚な赤ワインと一緒に楽しみながら、気さくな雰囲気にも助けられ、すっかり酔いを回らせながらディナーを楽しむ。こういうときに、英語が問題の無い妻で本当に助かると思わずにいられない。

向かいの席のフィリップ(Philippe Block)は構造家らしく予習していた彼のプロフィールに数年前に「坪井賞受賞」と書いてあったのを覚えていてそのことを話したら、とても嬉しそうにいろいろと話をしてくれた。いつか協同できることを楽しみになる人物である。

明日の朝一からレクチャーか・・・

と思うと最終の練習でもしておこうという気になって、同じくボーイフレンドと一緒に来ていたキャサリン(Kathrin Aste)と連れ立って、4人で一緒にタクシーにてホテルに帰る。

あまりに眠いので最終の練習は明日の朝・・・と眠りに落ちるメルボルン一日目。
















「砂の器 上・下」 松本清張 1961 ★★★


これまた家の本棚に長年埋もれていた一冊。読んだものだとばかり思っていたが、改めて手にとってみると、恐らくテレビや映画で目にしていたその有名なタイトルのイメージから読んだ気になっていただけで、決してちゃんとは読んでいないと理解し改めて手に取ることにした。

そんな訳でオーストラリアまでの長い機内でさらっと読み切れてしまうが、その内容はとても50年以上も前の作品とは思えないくらい、細かいところに伏線が敷いてあり、それが後半にしっかりと回収されていてなんともお見事としか言いようが無い。

冒頭から明らかにこいつらの中の誰かが犯人だろうとは暗示されているが、まさか二人の犯人だとは思いもよらない。そしてその生い立ちに込められた複雑な事情と、それを隠すための経歴。

ゲームではなく何もないところからヒントを見つけ、自ら過程を構築していき、実際にその場に足を運んで追っていく。徐々に自ら描いた物語を具体化し、その中の人物像を見つけていく。まるで靄の中に手を伸ばし、人影らしきものを捕まえるかのように。

ミステリー好きならできるだけ早い時期に手にする一冊であろう。

2013年5月28日火曜日

Materials 2013 / National Architecture Conference Melbourne


明日よりオーストラリアのメルボルンに行き、オーストラリア建築協会主催のカンファレンスに参加し、MAD Architectsの作品について講演をしてくる予定になっている。

2013 National Architecture Conference Melbourne

通常はパートナーのマー・ヤンソンがレクチャーに行くことが多いのだが、今回のカンファレンスのテーマが「マテリアル」ということで、オフィス内で日常の設計業務を主に手がける自分がオフィスを代表してレクチャーを行うことになる。

そんな訳で、オフィスの作品を紹介するような通常のレクチャーとは違って、2,3のプロジェクトに絞って、その中でオフィスの「マテリアル」に関するアプローチ、考え方を主に話してほしいという依頼。

通常のプレゼン資料は使えないので、改めてこのカンファレンス用に資料を纏めることになる。テーマに沿ってポイントを書き出し、流れを決めて、プロジェクトを絞り、その中でのイメージを選択して、時間配分を考えながら資料つくり。英語でのプレゼンになる訳だが、とりあえず日本語で言わんとするポイントを書き出し大体の時間を見据えてページ数を決定していく。

ドラフトができた段階でオフィスのプレス担当相手に話をして、より内容をクリアにするために手直しをし、最終版ができた段階で同じく校正をお願いして終了。後は本番までに何度か繰り返して頭の中をクリアにしておくこと。

といっても出発前日まで何かと忙しくするので、緊張する余裕もなく過ごしているのだが、パネルディスカッションもあるというので他の講演者の情報を少し調べると、なかなか面白い建築事務所の人が参加するようである。

イベント開催期間中は、インタビューや簡単なサイン会など何かと拘束されることも多いだろうが、できるだけ他の講演者のプレゼンも見て、同じ時代に生きる世界の建築家が何を思い、何を考え建築に向き合っているのかをしっかりを感じて来れればと思う。

イベント終了後、シドニーに移動して地元の建築家にオペラハウスを案内してもらい、彼らの事務所も見学させてもらう予定になっているので、ぜひとも世界遺産にも登録される世界有数のオペラハウスの空間を身体で感じで、今進めているハルビン・オペラハウスにフィードバックできるようにと楽しみを感じる。

用意してもらった飛行機代でエコノミーにすれば二人分カバーできるというので、せっかくだからということで妻も一緒に連れて行くことになる、よい気分転換になるだろうとの思いと、少々の煩わしさを感じるであろう関連イベントも手持ち無沙汰になることなく過ごせるという淡い期待を感じながら、今宵は秋の南半球に向けてのパッキングに勤しむことにする。

2013年5月27日月曜日

ぶち当たるネイティブの壁


海外で働いていると、どうしてもぶち当たる壁がある。

できるだけ自分で情報を正しく得られるようにと学ぶ語学。上達すればある程度打ち合わせでの会話も理解できるので、中国人だけで中国語での打ち合わせにも英語への変換を無しに同席し、なんとか会話の背景から意味を読み解きながら流れを追っていくことになる。

しかし、どんなに勉強しても、中国人がなんの気を遣うことなく激しく話し合う会話を100%理解し、同時に意見も言うことは相当な語学力が必要となる。中国語が理解できない外国人は、まるで自分には関係ないこととして割り切ってしまうが、なまじっか理解できるから、周囲も気を遣うことなく中国語だけで物事が進む。

母国語ならば、問題なく専門家との会話も理解でき、その中から現在の最先端の技術や素材の成り立ち、問題の解決法などを理解して、職業人としての能力もアップしていく。しかし会話を6割の理解で追っかけていれば、その理解もそして自らの成長も遅くなる。まるで高校生がいきなり社会人の打ち合わせに参加しているような、自分がなんて愚かなんだろうと感じることになる。

なんとなく自分が言いたいことを伝え、相手が外国人だと慮って話す中国語を理解するのはそれほど難しいことではない。必死に努力すれば2年近くでそのレベルに達するだろうが、そこでぶち当たる壁。

通訳など語学の習得が目的ではない日常の中で学習を続けるのだから、それほどまとまった時間が確保できるわけでもない。その中で、はじめてあう仕事関係の人との打ち合わせでも、問題がないように意思疎通ができるレベル。自分達の考えを論理的に説明し、相手を説得し、納得した形で仕事をスムースに進めていく。そのレベルまでの圧倒的な距離。会話の中で自分ひとりがおいていかれるような感覚。

そんなことで悩みながら見るニュースで白鳳の優勝インタビューを目にし、この人たちも他の人たちが稽古に励んでいる時間に、同じように稽古をしてなおかつ日本語も勉強して、今ではこうして周りが何の疑問も持たないようなレベルの語学力を身につけているのだと思うと、本当に頭が下がる思いになる。

ストレスを感じるのは問題があるからで、問題があるのは原因があるからで、それが人間関係でも自分の能力不足でも、それはほかっておいても誰かが取り除いてくれるものではなく、自分で取り除くか乗り越えるかでしか解決できないなら、下を向いている時間をできるだけ少なくして、とっとと解決して少しでも楽になることを考えた方がよいかと頭を切り替えることにする。

2013年5月22日水曜日

「レッドゾーン 上・下」 真山仁 2011 ★★★


相変わらずの壮大なる世界観。一体どこまで考えて、一冊の本を書き出しているのか?と思わずにいられない。

クリアしてもまだ続くかつてのRPGゲームの世界の様に、一つの物語の裏では、また別の壮大な物語が進行しており、それらが複雑な糸のように絡み合う。しかし決して破綻はしないその構築された世界の精密さ。

まったく違う地点から開始する、様々な人物の話としての伏線。

他の小説でも登場する魅力的な人物を脇役として登場させる手法は相変わらず見事だが、これもせっかく丹精こめて練り上げた人物像を一つの話だけでなく、大きな世界で存分に活躍させたいという親心か。

アジア屈指の買収者として名が知られるようになった鷲津政彦。かつての盟友、アランの謎の死。その場で目撃されたアジア系の女の姿。

トヨタをモデルとしていると見られる世界的自動車メーカー。気骨のある経営陣と、どうしようもない創業者一族の副社長。そこに現れる中国人の買収者。その裏で意図を引くのは一体だれか。中国の国家ファンドと香港系財閥の若き指導者。そこに現れるアメリカ系投資ファンドの総帥。

この作者の小説を読んでいると、今の自分がどれだけ矮小かを感じざるを得ない。華やかで、膨大な額の金を動かし使う男達。その中で一流のものに触れて、知識と経験を根拠に更なる高みを目指していく世界。

数年アメリカにいたからといっても、どれだけ地元に密着する生活をしていたといっても、こんな風に各地方の方言を交えて流暢に英語を使い分け、中国語を解してビジネスを展開していくのは、やはり小説の世界だとは分かっていても、そんな超人のような才能を持った人もこの世の中にいるんだろうなと想像する。そして自分との距離に思いを馳せる。

金融の世界が、「金が全てだ」という価値観だけではないという人間が多くいるんだというメッセージは強く伝わってくるが、また一冊と読めば読むほど、住まう世界で見える風景の違いがこうまでもとはと思わずにいられなくなるのもまた事実。

国境が溶けてしまった国際金融の世界。これからもっとこのような物語が生まれてくるのだろうと期待せずにいられない。

2013年5月19日日曜日

スクーター


極めて平坦な北京の街。自転車乗りにはとても楽なのだが、たまに起こる強烈な風の日は、いくらペダルをこいでも前には進まない。

更に二人で出かけるときには、中学校時代に何度も学校に禁止をされた二人乗りバーを装着し、そこに妻が乗るので、長距離になれば、運転する自分は疲れ、バーに乗る妻の足の裏も痛み出す。

と、いうことで、随分前から妻が「電動自転車の購入はいかが?」と詰め寄ってくる。

どこからのセールスマンのごとく、電動自転車かスクーターを購入した際のメリットについてトウトウと語ってくるので、重い腰を上げて近くのお店に見学しに行くことにする。

買おうと思わないとちらほら見かけると思っていたお店が、いざ購入を検討してみるとなかなか売っている店が見つからないのは、心の奥に染み付いた貧乏性のなせる業だと理解しながら、あそこには売っているという妻のナビゲーションであるお店へ。

相場はオフィスの中国人から聞いていたので、好みに合いそうなデザインと色を選び、妻と代わる代わる試乗してみる。ヘルメットなんてうるさいことは言わない国なので、車の免許も持っていない妻でもスイスイ走っていく。

あまり仰々しくなるのもあれだからと、できるだけスリムなタイプを選び、少々の値段交渉の末にあっという間に購入終了。電機自転車なので、重い蓄電池をセッティングしてもらい、鎖と充電器を忘れずに受け取る。

早速家に戻り、荷物を置いて二人でドライブに。人力にすっかりなれた身体にはとても快適な環境。数年前に東京のバイク駐車場事情があまりに悪く、しぶしぶバイクを手放すことになった以来のマシン。じそく40キロから見える風景もまたいつもと違っていいもんだと思わずにいられないスクーター生活一日目。

「つみきのいえ」加藤久仁生 2008 ★★



アメリカならば、先に逝ったお婆さんとの思い出を胸に生きるお爺さんが、空に飛んでいって大冒険を繰り広げるという、陽の世界なら、日本はそのお婆さんとの思い出は、沈んだ水の底にあるという、なんとも陰な世界観。

数年前にアカデミー賞のなにかの部門で受賞したと覚えていたので気になってみてみた一本。

無声映画で雰囲気のある画風。そして地球の行く末を暗示するような海面の上昇によって水没していく街と、それに伴って上へ上へと積み上げられる家。

設定もストーリーも芸術性もレベルが高いので期待をしてみていたが、あっさりの幕切れ。まぁこういう作品はそういうものだろうと一人で納得してみることにする。



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第81回(2009年)アカデミー賞 短編アニメ映画賞
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2013年5月18日土曜日

Hikers' Dinner

友人に誘われて参加するようになった在北京の外国人によるハイキング・サークル

その仲間が持ち寄りでパーティーをやるというので、妻と一緒に参加することに。

先日のハイキングで顔見知りになってメンバーや、以前北京に住んでいて長いことメンバーだったが数年前に国に戻り、中国人の奥さんの出産に合わせて戻ってきているという古いメンバーなど、年齢も国籍もなかなかバラエティに富んでいる。

基本的にハイキング好きのメンバーなので、性格もとても気さくで、誰かが連れてきた犬が部屋の持ち主の犬に発情してしまい、追っかけまわしている姿を笑いながら、お国柄の良く出ている様々な品に手を伸ばす。

ドイツ、ウルグアイ、アルゼンチン、ベルギー、イギリス、フランスなどと、皆流れに流れてこの北京に居るのだろうが、とても「今」を楽しんでいる様子。「先」の為に我慢する「今」ではなく、どこに居ようがその場所の一番の「今」を楽しむように。

ウルグアイの友人は、「来年にはエベレストに挑戦するんだ!」と興奮気味に教えてくれて、なんだかこちらまで一緒に行くような気分にさせてくれる。

なんだか身体の中から暖かくなったような帰り道。日本に居ないことでの制限もあるけれど、こうした変わった友人達との楽しい時間を過ごせるのもまた、この場所でなければ得られないもので、それはそれで良いものじゃないか。なんて話をしながら家路を急ぐ。





「ザ・クルーズ」クリス・サンダース 2013 ★★


日本から帰ってきた妻と一緒に、近くの映画館で見た3Dアニメ映画。ドリームワークスの最新作で、恐らく「原始時代にアルマゲドンが来たらどんな感じだったんだろうね」のような会話があって始まった企画だろうと想像せずにいられない。

アイス・エイジの最新作も同じような「子を心配する父親と、親の保護を抜け出して好奇心とともに新しい世界に飛び出そうとする子供との間の葛藤と家族愛」がテーマであったが、恐らく何でもやってあげて、すべての危険を取り除こうとする過保護の親と、その保護の下新しい世界にチャレンジすることなく小さくまとまる子供というのが、最近のアメリカでも問題になってきているのだろうと想像する。

危険を顧みないくらい、新しい刺激を求めて、新しいチャンスを求めて足を踏み出そう。というメッセージは現代のどの国にでも叫ばれる共通なものなんだろうと思わずにいられない。

「アバター」をドリームワークス風のアニメにしたら・・・のような映像がいたるところに散りばめられ、未来だけでなく、過去も同様に現在からの距離でいえば幻想を見せる可能性があるんだと改めて感心することになる。



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スタッフ
監督クリス・サンダース

キャスト
ニコラス・ケイジ
エマ・ストーン
ライアン・レイノルズ
キャサリン・キーナー
クロリス・リーチマン
クラーク・デューク
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作品データ
原題 The Croods
製作年 2013年
製作国 アメリカ
製作  ドリームワークス
配給 20世紀フォックス映画
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2013年5月15日水曜日

「さよならドビュッシー」 中山七里 2010 ★★★★


このミステリーがすごい大賞受賞作の中では圧倒的な作品だと思わずにいられない、圧倒的な言葉と内容。そしてピアノという世界の疾走感とリズム感。読み終えた後に、久々にショパンとドビュッシーでも聞くような週末を過ごしたくなるような一作。

ミステリーとしての伏線のしき方。楽譜の上に置かれた音符が連なることで音楽を奏でるかのように、前半から散りばめられた伏線たちが一つ一つ絡み合いながら、徐々に一つのメロディをつむぎだす。時に強く、時に速く、時に優しくとリズムを変えながら。

「楽器を奏でるのはもっと楽しいはずなのに、何でこんなに苦痛なのだろう?音楽ってこんなに気まずい思いをしなきゃいけないモノだろうか?」

バレエでもピアノで、どの世界でも上を目指そうと決めたときから開始する痛みを伴うような苦痛の日々。ピアノという10代の時間の過ごし方がその後のキャリアに直結するような世界。

「夢を見る夢、お前が追っているのは起きて見る夢。そいつが現実の中でどれだけ足掻いておるか」

自我が芽生え始めた時代に、これだけストイックに自分を追い詰め、楽譜に向き合いながら、それでも努力した誰でもが評価される訳ではなく、そこには厳しい優劣が決められ、勝敗が決定される。そして勝ち残ったものだけが次のステージに上がっていける厳しい世界。

「ピアノ弾きとピアニストという言葉があって、この二つは似ているけど全く違うものなんだ。ピアノ弾きは譜面通りに鍵盤を叩くだけ。しかしピアニストは作曲家の精神を受け継ぎ、演奏に自らの生命を吹き込む。もちろん、そのためには血の滲むような努力が必要だ。」

好きで足を踏み入れた世界。気がつかないうちに目を送ることになった上の世界。限られた席を目指す数多のライバル。より高いところからの風景が見たければ、他の誰にも負けない実力を身につけるしかない。

「重要なのはその人物が何者かじゃなくて、何を成し遂げたか」

誰もが口には出さないが、一日でも早く「勝負」で優劣が決まる、勝敗が決まる日々から解放され、自分の立場、自分のポジション、安定した生活が保障されてほしいと願うものである。それは楽だから。常に自分を追い込み、ストイックに時間を過ごし、周りが楽しそうに過ごす姿を横目に見ながらも、それでもまた自分自身に向き合うことになる。

「称賛と興奮は一瞬で治まるが、嫉妬と冷笑はいつまでも持続する」

ネット社会に突入し、無制限の刺激に晒された人類は、その欲望の消費活動も加速させ、一つの刺激に飽きてはすぐに次の刺激をさ迷い歩く。

「我が身を不幸と信じる人間が嘆き悲しんだ後に思いつくことは、自分以上に不幸な人間を見つけ、その不幸度合いを確認することだ」

人生はいい時もあれば、悪いときもある。良い時は上を見て歩けるが、悪いときは必ず下を向くことになる。その時にどういう風に時間を過ごすかがその人の人格を決定させる。

「その職業を選択した時点でその道のプロになろうと努力するのは最低限に義務だと僕は思います」

生きる糧なのか、それともプロフェッショナルとして二本の足で立ち、社会に対して正々堂々と生きていくのか。

「皆と違う道を歩いているのは、皆と一緒に歩くことが怖いからじゃないか。表現者だとかクリエイターだとか、自分は一般大衆とは違うんだと気取っても、結局は闘うことから逃げている只の臆病者じゃないかと思ったんだ。他人と違う道を歩けば、確かに違う景色を見られる。しかし、その道は未舗装の曲がりくねった道だ。泥沼もあって足を取られる。どこに到達するのか道標もない。自分のことは棚にあげておいて卑怯なようだけど・・・自分だけが特別な存在だというのは傲慢で、そして臆病な者の虚勢に過ぎない。」

人が社会的存在であるならば、その存在意義もまた社会なくしては成り立たない。自分の本来の姿を見ることを恐れ、また見られることを恐れるあまり、「競争」や「勝負」から避けているうちに、社会からどんどん距離を置くことになる。

「大事なのはどんな道を歩くかではなく、どう歩くかである。」

「逃げるのは確かに楽だ。でも、それだけだ。楽をして得られるものは怠惰と死にゆくまでの時間しかない。」

「すべての闘いはつまるところ自分との闘いだ。そして逃げることを覚えると余計に闘うのが怖くなる。」

とことんストイックな言葉達。中高生の部活動の先生が読んだらよっぽど意味があるだろうと思わずにいられない。

「技術は必要だけど聴衆はそんなものを聴きたいわけでない。聴衆はどんな超絶技巧をみせられても、感心はしても感動はしてくれない。人が感動するのはいつだって人の想いだからね。その想いを形にしたものが芸術性だ。」

建築の世界でも陥りやすいこの穴。技術という積み重ねが聞く分野に足を踏み入れ、費やした時間の長さで評価を得ようとするのに対して、いつまでも潔く、自らの信念と感性によって負けるのも厭わずに勝負し続けること。その中でしか、見えてこない本当の自らの想い。それを見つめられるまで時間を費やせるかどうか。

「現代は不寛容の時代だ。誰もが自分以外の人間を許そうとしない。咎人には極刑を、穢れた者、五体満足でない者は陰に隠れよ。周囲に染まらぬ異分子は抹殺せよ。今の日本はきっとそういう国なんだろう。いつころからか社会も個人も希望を失って皆が不安がっている。不安が閉塞感を生み、その閉塞感が人を保身に走らせる。保身は卑屈さの元凶だ。卑屈さは人の内部を腐食させ、そのうち鬱屈した感情が自分と毛色の違う者や少数派に向けられる。彼らを攻撃し排斥しようとする。そうしているうちは自分の卑屈さを感じなくて済むからだ。立場の弱いものを虐めたり差別するのもたぶんにそういう理由だろう。不正を糾弾された人間に問答無用で罵声を浴びせる、頂上を極めて者の転落を悦ぶ・・・全部同じ構造だ。」

日本全国を覆う閉塞感。誰もが感じるその圧迫感。いつからこんな国になってしまったのか。その「空気」を代弁する作者。

「逃げることを覚えるな。闘いをやめたいと思う自分に負けるな」

なんともかんとも、ミステリーという形を借りた作者の人生論が散りばめられた言葉達。それらがどれもストイックで、そしてまっすぐ。啓蒙本のように借りてきた言葉ではなく、自分で見つけた言葉だからこそ物語の中で彩りを放つ。恐らくとてつもなく物事を考えながら、密度の濃い時間を過ごしているのに違いないと思わずにいられない。


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『このミステリーがすごい!』大賞第8回(2010年)大賞受賞作
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2013年5月14日火曜日

「早春の化石」 柴田哲孝 2010 ★★★


男なら一度は憧れる職業というものがある。

その一つが私立探偵。東京のような狭苦しい場所に留まらなければいけないのは、そこにしか仕事が無く、そこでしか人に出会えず、そこでしか楽しいと思える刺激がないからだとしたら、生きるに困らないだけの仕事の依頼が入ってきて、興味深くかつ若くて美人なクライアントがわざわざ訪ねてきてくれて、時に友人達とBBQをし、時に鳥のさえずりを聞きながら物思いに耽ることが出来る自然の中のテラスがあり、適度な距離を保ちながら彩りを与える友人達がいる。そんなおおらかな生活を可能にする広さ。それを所有する事が可能でかつ東京にも繋がれる場所として福島が舞台。

都会の雑踏の中でしか生きる喜びを見つけられないというような青臭い時代を終え、ある年代で経験すべき事をしっかりとこなして大人になった男が、自分の時間の過ごし方を知り、ダッチオーブンやローマイヤのハムなどこだわりをもったモノ達に囲まれる生活。社会や世間というものから距離を取ること、その中で評価される事に囚われない身。漂う清々しさ。今の自分の姿と比べてみては、間に横たわる距離に歯ぎしりすることになる。

そんな訳で叔父の死により相続したこの家を拠点に活動する事になった神山健介シリーズ第2弾。前作の夏から季節は巡り今度は春。土の中から様々な生命が息吹出す季節にその土の中から死んだはずの姉の声が聞こえるという双子の妹からの依頼。有名なモデルでしかも相当な資産家の娘。なんとも羨ましいがありがちな展開にもれず、どうも男性に依存するタイプの女性な様子であっという間に身体を重ねる事になる。どうにも最近はワイルドなタイプはモテるという設定のようである。

何世代にも渡る歴史の中にミステリーの答えを持って行くのは他の作品でも見受けられるが、そのワイルドな風貌か想像出来るワイルドな私生活と交友関係からの真実味のありそうな歓楽街での人探し。そのやり取りはなかなかスリリングで物語に緊張感を与える。

通底するハードボイルドとしっかりと練られたミステリーの絡み合う糸。ストーリーが比較的明確なのであっさり読みきれてしまうが十分楽しめる娯楽作。次の季節の秋を楽しみに待つことにしながら、それまでに自分もローマイヤのハムで・・・というように、「○○の何とか」と身の回りのものに対してのこだわりレベルを少しでも向上しておくようにする。

2013年5月13日月曜日

「小説 伊藤博文 幕末青春児 全一冊」 童門冬二 2004 ★★


大河ドラマの「八重の桜」の裏で起こっていた物語。八重の会津藩に敵対する幕末の反抗児・長州藩。旧国地図をみると今の山口県西部に当たる。下関、萩、山口、長門などを含み、瀬戸内海から日本海へでる要所を押さえることで重要な意味を持つ国である。

高杉晋作、久坂玄瑞、山縣有朋、時代を変えるべく疾走した若者を多く輩出した松下村塾。吉田松陰の薫陶を受け、江戸へ京へと駆け回る若き志士達。その中でも低い身分から侍に成りたい、力を持ちたいと、己の立身出世の欲にひきづられながらも、その人柄と類稀な調整能力にて外交の場で頭角を表すして行く伊藤俊輔、後の伊藤博文がいた。

誰からも愛され、憎まれず、荒波を泳ぎながら、時代を生き延びた俊輔。桂小五郎と高杉晋作という静と動の人物共から愛された人物。

イギリスにて世界を見たこと。自らの、そして日本の、そして藩の立ち位置を知ったこと。その距離感を理解し、冷静に判断し、今後どうすべきかを考えることができた幸運。

世界を知ることの重要性。自らが生きる世界の枠組みを決め、その中での目標を掲げ、そこからの距離を理解する。その後は距離を縮めるために何をすべきか考え、実行する。捉えた枠組みがしっかりとしていれば、ガムシャラに足元を見ながら一歩一歩足を前に進めても、大きくは目的地からは外れない。

しかし最初に枠組みも無く、立ち位置も理解せず、距離感も見据えずに出し続ける一歩達は何処にいってしまうのか。時が経つにつれて現れだすその違いは徐々ではあるが、確実に開き始める。

幕末。平穏な時代では決して歴史の表舞台に立つことがなかったであろう人物達が、活き活きと時代を走り回った時間。すべての人物にそれぞれが主人公の物語が存在し、「時代が変わった」ことに意識的に社会の中に浸透し、様々な「システム」もまた更新されていく。

270年続いた江戸時代。その硬直した時代を変革したのは、押し寄せる世界へ足を向け、現在の世界を見てきて、外から見えてくる「日本」という姿がどう変わるべきかを必死に考えた人々。

明治に時代が変わって既に145年。江戸時代の半分近くに差し掛かってきたが、再度この国は硬直化を迎えているようである。それは産業革命によってもたらされた当時の世界の変化同様に、グローバル化によってもたらされた構造の変化によってもたらされた世界情勢の変化が、再度外から押し寄せる外圧として日本に届き始めている。

変わることを選ぶのか、変わらないことを選ぶのか。まずはしっかりと自らの目で枠組みを見据えることが大事だと改めて思わずにいられない。

2013年5月12日日曜日

ハイキング:Dry River 河北省 ★★★


友人の建築家に誘われていたハイキング。近しい友人だけで誘い合い、バスをレンタルして毎週待つごとに行っているというハイキング。メンバーは30人を超え、毎週木曜日に送られてくる招待メールにすぐに申し込みをしないとバスの席が取れないというので、その友人に妻と二人分の席の確保をお願いしていたが、なかなか予約が取れずにいた。

妻が日本に用事で戻っている週末に行われるというハイキングにちょうど席が取れたというので、一人の週末によい気分転換かもということで参加することにする。

早朝8時に近くの集合場所に行くと、総勢25名近いメンバーは皆すでに顔見知りの様子で、おしゃべりをしながら、さすがはハイカー、時間きっかりに皆揃って出発。

北京から北に向かって2時間ほど走り、それぞれにおしゃべりをしたり睡眠を取ったりと好きなように時間を過ごして到着したのは、周囲に何も無いような山に囲まれた一本の道。

降りたらすぐに歩き出すように、ということで、皆しっかりと装備した服装で何の説明もないまま先頭の人に続いて歩き出す。聞けばオーガナイザーの75歳のベルギー人が、15年以上も前に北京にやってきたときに、ハイキングをやりたいがどこにいっていいか分からないので、週末ごとに車を借りては山に行き、自分で道を探して歩き回り、行き止まりにぶち当たれば戻ってくるというようなことを繰り返し、頭の中に良いハイキングコースが叩き込まれているという。なんたるバイタリティ。

その名残ではないが、72歳のイスラエル人のおじいちゃんも、ひざが悪いといいながら、自分よりもよっぽどすいすい歩いていくし、ウルグアイ人という女の子はとれもラフな格好をしながらも、軽そうな身体でとっとと先に進んでいく。

5年前からオーガナイズするのを手伝っていて投資銀行に勤めているというフランス人に話を聞くと、開くまでも友人達が楽しめるようにという意味合いが強いので、費用も最低限で皆気ままに喋りながら歩いたり、休憩を取ったりとして、いちいちコースの説明や、昼食をとる場所の説明などはしないという。それが彼らのハイクだという。

「Dry River」というだけあり、最初の1時間半はひたすら山の間のからからに乾燥した川のあとのような道を歩いていく。これが結構なペース。少しでも写真を撮るために足を止めたら、あっという間に数人に抜かされる。これは気が抜けないな・・・と暫くぶりのハイキングに身体を慣れさせる。

しばらくしてなれてくると、近くに歩いている何人かと会話をする余裕も出てくる。マレーシア人だという男性は、オーストラリアで11年過ごし、今はアメリカで勉強をしているという。「何を勉強しているんだ?」と聞くと、パイロットの勉強だという。よくよく聞けば、趣味でセスナに乗りたいので、一番安くて早くとれるアメリカに行って部屋を借りて、教習所に通っている途中という。その間に一度北京に戻ってきている時に友人にこのハイキングの話を聞いて参加したという。なかなか興味深いじゃないか・・・と思いながら、普段はサイクリングを主にしているから脚には自信があるという彼のペースに遅れないように歩く。

そんなこんなで見えてくるのは万里の長城。その崩れかかったところから上に上り、後続のメンバーと合流し、皆揃ったところでここからは万里の長城の上をあるいていくという。崖のようなギリギリの道を抜け、パラパラと崩れる長城の上に上がり、風が吹き付ける中みんなひょいひょいと狭い長城の上をあるいていく。

聞くと今回は相当簡単な、ビギナー向けのコースだという。せめて目の前に広がる永遠に伸びるような長城のどこが我々のゴールなのかだけでも教えてほしい・・・と願いながらも、せめてこの風景を楽しむことにする。

こういうコースでも、天候によってはこの冬に日本人旅行者に起こった不幸な事件のようなことが起こるのだろうと思いながら、例のフランス人に今まで事故など無かったのかを聞いてみると、2件だけだという。一人はひざを悪くし、一人は壁から落ちてしまったという。基本的には皆それぞれの国でも山登りやハイキングをやっていた人たちで慣れているということらしい。それを聞いて気を引き締めて再度足を前に進める。

少し開けた広場のような場所でランチにすることになり、妻が日本に戻っているので前日の夜から自分で用意した弁当を広げることに。フランス人はサンドウィッチを、日本人はおにぎりを、中国人は餃子をという風にお国柄の感じられるランチの風景。誘ってくれたインドネシア系ドイツ人建築家の友人がめざとくおにぎりを見つけ、「一つ頂戴!」ということで梅のおにぎりを渡すと、「そっちの味がついてそうなやつのほうがいい!」ということで、ふりかけバージョンを目ざとく見つけるので、取り替えてあげることにする。海苔を巻いて、「おいしい」と周囲の友人ともシェアした様子で、次の弁当へのハードルが高くなるなと一人で想像を膨らませる。

午後はひたすら万里の長城の上を行く工程。袖壁の立ち上がり具合から、どちらが北京でどちらが匈奴が攻めてくるほうが一目瞭然。それにしても、良くこんなクレイジーなものを建てたなと、あらためて人類の歴史に圧倒される。

「そろそろいい加減に・・・」と思ってきたころに、前方に見えてくる長城の切れ目。そこにたむろする数名のメンバー達。「これはゴールか・・・」と思って降りていくと、今回はここまでというらしい。喜んでいると、長城はここまでだが、車のところまで降りていかなければいけないということで、またブッシュの中を枝で肌を傷つけながらあるくこと1時間、やっと舗装された道に出る。

携帯の電波も届かない場所で、どうやってバスの運転手と連絡を取り合っているのだろう?と思いながらもしばらくするとちゃんとバスもやってきて、おもむろに取り出したクーラーボックスの中からは冷えたビールが。なんて、気の利いたオーガナイズなんだろう・・・と思いながら、極上の一本を喉に流し込む。

このレベルで簡単なコースというので、これは次回どうやって妻を連れてこようかと頭を巡らせながら、久々の自然の中での良い疲労感を身体に感じながら帰りのバスに揺られて眠りに落ちる。