2012年5月22日火曜日

一日サボると大変なことに

現在オフィスで手がけているオペラハウスの仕事関係で、朝9時からクライアントやらコンサルタントなどでの打ち合わせがあるという。授業があるから行けないというのは通用しないだろうな・・・と思い泣く泣く学校を欠席することに。

毎日していることをしないといろんなことのバランスが崩れるのかどうかは知らないが、前日の復習やらその日の授業内容と復習やら含めて、本来なら終わっているけど手が付いていないことがいきなりドッと増えることになる。

今の授業の教科書と、以前やっていたものの簡易な復習の初級の教科書と、今の授業で参加したときには終わっていた課の内容を追いつくこと。その3つが毎日やることとしてあるから、一日サボると1+1=2ではなく3x2=6となってはね返ってくる。

これは結構恐ろしい。

週末でキャンセルできなければ完全に心が折れるところだったと思いながら、仕事を休んで復習に費やす、そんな本末転倒が起きないようにと祈るしかない。

2012年5月21日月曜日

「ニューイヤーズ・イブ」 2011 ★★



いつの頃からか、フォーカスの当たっている人が街中ですれ違った人にそのままカメラがフォーカスを移動する、そんな撮り方が多くなってきた気がする。それはつまりは数人の主人公から、街を主題にして、その街で住まう多くの人に焦点を当てるストーリーが多くなってきたことと同意なんだろうと思いながら、「ラブ・アクチュアリー」や「バレンタイン・デイ」を思い出す。

それにしても現職のブルームバーグ市長が登場するほど、こういう映画はニューヨークという都市のプロモーションになるんだと気がつかされる。だからこそのこれほど多数のスターの共演。

東京で同じような映画を撮ったら、増上寺のカウントダウンに石原都知事が登場し風船を飛ばすのか、それとも浅草寺の仲見世で食い歩くのか、なんにせよそれなりに面白そうな映画になりそうだな、と想像を膨らませる。

「リトル・ミス・サンシャイン」のアビゲイル・ブレスリンがすっかり娘になってあまり可愛くなくなっているのが残念で、ファーギーと結婚したジョシュ・デュアメルはやはりイケメンで、NYと言えば・・・の為に登場するかのようなサラ・ジェシカ・パーカーに何故だかほっとして、デミ・ムーアと結婚したアシュトン・カッチャーがやはりキュートな役割に納得して、それにしても次から次へと新しい役者が出てくるものだと感嘆する。

とにもかくにも世界中でいろんなことが起こり、沢山の悲しい出来事があった2011年。その年末には一番自分らしくいられる相手と過ごせることがどれだけ幸せかということ。どんなに辛いことがあった一年も確実に終わりを向かえ、そして新しい一年がやってくる。そんな姿を見て、今年のニューイヤー・イブは一体どこでどのように過ごすかを楽しみにする。

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キャスト: ハル・ベリー、ジェシカ・ビール、ジョン・ボン・ジョビ、アビゲイル・ブレスリン、クリス・“リュダクリス”・ブリッジス、ロバート・デ・ニーロ、ジョシュ・デュアメル、ザック・エフロン、ヘクター・エリゾンド、キャサリン・ハイグル、アシュトン・カッチャー、セス・マイヤーズ、リア・ミシェル、サラ・ジェシカ・パーカー、ミシェル・ファイファー、ティル・シュワイガー、ヒラリー・スワンク、ソフィア・ベルガラ
監督: ゲイリー・マーシャル
原題: New Year's Eve
製作国: 2011年アメリカ映画
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2012年5月20日日曜日

チャンだをパンと

語学学校の授業で出てきた例文

男:我现在工作还没有做完,要晚一点儿下班。
女:你每天除了工作,还是工作。你什么时候考虑过我们这个家?什么时候把我和孩子放在眼里了?

翻訳するのも恐ろしい・・・

こんな言葉を妻から投げかけられたら簡単に心が折れること間違いなしだと思い、週末にも出勤が続いていた折に、こんな例文が現れるのも何かのお告げに違いないと、かねてから予定していた北京動物園にてのパンダ詣でに妻を誘う。

嬉々としてリサーチをする妻によると、元来怠け者のパンダは朝ごはんを食べると暫くして寝てしまい、ほとんど活動をしなくなるので見ててもつまらない事が多いというから、開門すぐの朝ごはんの時間を狙っていくべきだと、珍しく早起きに気合を入れている妻に従うことにする。

やや遅れはするものの、週末ということでバスと地下鉄の乗り換えもスムースにいき、2元で動物園到着。インフラにお金がかからない北京に比べ、インフラに払うお金で搾取されてる感のある東京の息苦しさを思いながら、しっかりと学生証を提示して、パンダ館含めて一人20元の入場料。ちなみに上野動物園は一般で600円。

他の動物には目もくれず一目散にパンダ館へとむかい、朝ごはんの笹をむしゃむしゃ食べるパンダの一挙手一投足に右往左往するギャラリーの一員に。そのフォルム、その仕草、その模様。すべてとっても完璧に完成された可愛い動物の最終形態だと納得してしまうほどの愛くるしさ。どんだけ見てても飽きないとはこのことだと思いながら、アイドルかもしくは我が子のようにレンズを向ける。

北京動物園のパンダは白黒じゃなくて、茶色だという噂を聞いていたが、地面に直接すわるからお尻の辺りは茶色くなるが、それ以外は結構しっかりと白黒模様。3匹の大人パンダを見てから、奥にいる子パンダエリアに向かうと、さらに活動的な子パンダに夢中になる妻と自分。まるでJrに振り回されるジャニーズ・ファンの様だと思いながらも止められない。

そのあまりの愛くるしさに興奮してしまい、大笑いしながら口から出たのは、

「こんなにチャンだをパンと見たのは初めてだよ。」と。

いいまつがいはよくするが、その中でも久々にでたヒット作の様で、爆笑する妻。

その後オフィシャル・ショップのお土産屋さんでしっかりとぬいぐるみを買い込み、遠くない将来に四川のパンダ園で一緒に写真を撮ろうと意気込みながら、AKBやジャニーズを追いかける人の気持ちもこういうものなのか・・・?と少々混乱しながら園を後にする日曜らしい午前9時。

「ラブ・アゲイン」 2011 ★★★


珍しく週末らしい日曜日を過ごし、夜には近くの映画館で大画面でも・・・と思ってネットで調べるが、ピンと来るものが無いのでそれではということで延ばし延ばしになっていたDVDプレイヤーの購入を決定。

電気量販店の国美に寄るが、あまりに雑な対応と閑散とした雰囲気の為に、やはりなじみの大中まで足を伸ばす。

「一番安いのはどれ?」と聞くが、「HDMIがついてるのはどれもそんなには安くは無いよ」と。

日本で買ったときも同じような会話をした気がするが、一応HDMIとは何だと質問し、ディスプレイしてあるテレビで違いを確認。

そりゃHDMIが必要だろうと、その中で一番安いのはどれだと聞くと399元のシンプルなものを提示される。「先ほどタオパオで調べたら200元程であったのだけど、それとは違うのか?」と聞いてみると「タオパオはあまりに偽者が多くて中国人でもあまり使わない。」と。そりゃ量販店の人間はそういうだろうな・・・と思うけど、一年保障という言葉の魅力に惑わされてその場で購入。

そんな訳でやっと我が家にもDVD環境が整い、見たい「ドラゴン・タトゥーの女」は怖そうだからと、きっと妻に却下されるだろうと勘ぐり、好きそうなラブコメを買い込んで帰宅。

そして選ばれたのが「ラブ・アゲイン」。やはり・・・。

全編通してこじれた糸がほぐれないのがまどろっこしい・・・という印象だけど、なんといってもライアン・ゴズリングがイケメン過ぎて、夫婦そろって東京のある友人の顔を思い浮かべてしまいっぱなし。外見ももちろんだけど、生活環境からくる振舞い方や喋り方。女性への接し方など、一朝一夕には身に付かないものだと納得。

「スパイダーマン」のヒロインのエマ・ストーンや「めぐりあう時間たち」のジュリアン・ムーアなどの名前が出てこず、暫くぶりの映画なんだと再認識。

とにかくませているが憎めない長男役のジョナ・ボボを見て、男の子はやはり楽しいなと思い、元はアイススケートの有望選手でアメリカの有名な若手モデルだったとてもキュートなベビーシッター役のアナリー・ティプトンを見ては、女の子もいいもんだなと思わされる。

「リトル・ミス・サンシャイン」でもちょっと頼りないお父さん役だったスティーブ・カレルが、再度不器用な父親としてミドル・エイジ・クライシスを乗り越えるのだが、こんな家庭があるのならやっぱりアメリカは自由で素敵な国だと思わされる。

こういう映画を見て子供の視点よりもやや親の視点に寄ってきていることに、自分の重ねてきた年齢を思い出させられるが、誰もがソウル・メイトを探して恋をして、傷つき悩んで苦しんで、それでもやはり大切な人と歩む人生が一番自分らしいと再認識する。

「ドラゴン・タトゥーの女」は一人でこっそり見ればいいが、こういう映画はやはり妻と二人で見ることに意味があるんだなとなんだか納得する日曜の夜。

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キャスト: スティーブ・カレル、ライアン・ゴズリング、ジュリアン・ムーア、エマ・ストーン、ジョン・キャロル・リンチ、マリサ・トメイ、ケビン・ベーコン、ジョナ・ボボ、アナリー・ティプトン、ジョシュ・グローバン、ライザ・ラピラ、ジョーイ・キング
監督: グレン・フィカーラ、ジョン・レクア
原題: Crazy, Stupid, Love.
製作国: 2011年アメリカ映画
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2012年5月15日火曜日

「The Autopoiesis of Architecture」 Patrik Schumacher 2012


「All problems of society are problems of communication, and within a post-Fordist Network Society in particular, social productivity increases with the density of communication.」

今まで遭遇した中でも、最大級の建築モンスターであろうパトリック・シューマッカー

在籍したAAスクール大学院のAADRLでの担当教員であったことから縁は始まるのだが、その後ザハ・ハディド事務所に誘ってくれ、世界で活躍する建築事務所のトップとして如何に世界の舞台で建築を作り、常に新しい言語を追い求めるかを教えてくれた人でもある。

とにかく、エネルギッシュ。一歩たりとも止まらない。常に建築のことを考えてる究極の建築オタク。語る言葉は非常に感覚的なのだが、書く文章は非常に小難しい。彼が哲学学部出身ということも関与する。

共にザハ事務所で働いていたマ・ヤンソンと一緒に独立してMADを始めた後も、何かにつけて目をかけてくれいろいろな場によんでくれたり、北京に来るときにはオフィスに寄ってくれたりもし、フェイスブックで連絡もくれる。

しかし油断ならない建築モンスター。頭の中を駆け巡っているであろう、さまざまなアイデアを排出するかのように、またとんでもなく小難しい本を出版するようだ。


ちらっと紹介文を読んでみるが、


parametric differentiation
agglomeration 密集化.

なんだか懐かしい言葉が飛び交う。若かりし大学院時代これはいくら英語を勉強しても到底辿り着けないと悟りを開かせてくれた数々の文章。この歳になってもそれは変わらないということを再認識。

相変わらず世界中を駆け巡り、いつもどこかで新しいものを見つけ、考え、話して、作って。そんなことをしてどんどん前に進んでいるんだと思うと、毎日疲れたなんて言ってられないとエネルギーをもらう。

ぜひ日本で建築を学ぶ学生に辞書を片手に少しでも読んでもらい、世界のトップクラスの建築家が、一体今何を考え建築に向かっているのか理解しようとし、理解できないものもあると理解することでもいいので、時間を費やしてもらいたいと思わずにいられない。



2012年5月9日水曜日

東京大学・前スタジオ 北京訪問


東京大学建築学部前研究室のスタジオによるの我々MADの事務所を訪問が行われた。

昨年まで3年間外部講師としてスタジオに参加させていただき、その時の学生がコンドル賞(東京大学建築学部生の卒業設計最優秀者に与えられる賞で、東京大学の建築学部創設に寄与したジョサイア・コンドル氏の名前が冠されら大変栄誉ある賞)を受賞し、半年間の海外事務所へのインターンシップができる奨学金を得て、通常ならヨーロッパに向かう学生が多いのだが、彼は北京で我々MADの事務所でのインターンシップを希望した為、我々も快く受け入れることになり、その彼がインターンシップが終了し研究室に戻り、TAとして今回の北京視察を企画したという流れなのである。

准教授の前先生と、昨年までは同じ外部講師として一緒に学生を見ていた中川純氏。それにかつてゼミで教えていた学生たちが修士生となってTAとして学生の世話をして、今年の学部4年生と修士1年生のゼミ生合わせ、総勢25名ほどの大所帯。

まずは僕から事務所の簡単な説明を兼ねたプレゼンテーションを30分ほど行い、事務所の中の案内。その後僕からお願いさせてもらい、前先生から環境建築に関してのレクチャーをいただけることになり、事務所のスタッフに声をかけて狭いカンファレンス・ルームが簡易なレクチャーの様相に。

環境を念頭において設計のプロセスの中で、シュミレーションの結果をフィードバックしながら、確認の為ではなく、建築環境の向上の為に取り入れながら設計を進めることの大切さを、いくら口を酸っぱくして事務所で言い続けても、どうも説得力に欠けるらしいが、こうして外部者としてアカデミズムの観点から客観的に説明してもらえるととてもすんない入っていくのではと思うほど、非常に分かりやすいレクチャーをしてくださった。

特に2011年の東日本大震災とその後の福島第一原発の事故による、大規模なエネルギーの欠乏と、エネルギーの観点から見た場合の現代建築の評価軸。

SANNAの21世紀美術館がいかに内部熱環境的に最悪か、現地での実測を元に説明し、外見やプログラムの再構築による美しい建築が評価される軸を作り出したのが安藤忠雄で、その際たるものが住吉の長屋だという。村野藤吾が発した「この建築は建築家が評価されるのではなく、住み手が素晴らしいだけだ」という言葉を引きながら、如何に長年にかけて建築家が熱環境に関して無頓着に、ひたすらに形態への傾倒が放置されて来た末の現状。

レクチャーの後に簡単なダイアローグをということで、我々のスタッフからいくつか質問を前先生に投げかけさせてもらい、盛況のうちにレクチャーを終了する。

その後せっかくなのでということで、北京ダックだという夕食に参加させてもらうことにする。せっかくのせっかくなので、妻も同席させもらおうと二人してのこのこ出かけていくことにする。

前先生と懐かしい顔ぶれと一緒に卓を囲んで、久しぶりに日本語でのリラックスした会話を楽しみながら、学生達からの質問に答えて食事を進める。ここからできるだけの刺激を持って日本に戻って、がむしゃらに建築を楽しみながら学生時代を過ごしてもらえればと思いながら、これは国税出費による夕食だな・・・とできるだけ残さないようにと思いを馳せる。

2012年5月5日土曜日

オルドス 午前8時


竣工時に行くことができなかったオルドス博物館にできるだけ早いうちに足を運ぼうと思っていた。

外部の3次曲面の仕上がりや、内部のGRG壁面の問題点や、各部の詳細の納まりを実際見て触って、オフィスの現段階での設計および現場監理の力を把握するのと、施工会社の能力を把握する必要があるから、少し落ち着いた夏前にいければとパートナーと話していた。

そんな週末前の金曜にオフィスに行くと、プロジェクト・アーキテクトの中国人がトコトコやってきて、お願いがあると。現在建物は完成し現在内部の展示の施工が進んでいるのだが、展覧会が開始するまでに竣工後発覚した建築的な問題点を解決しているという。

ちなみに内部の展示は内モンゴルということもあり、近くで恐竜の化石が発掘できて、大規模な恐竜の化石の展示や、原始時代の生活の様子などを見せ、NYの自然史博物館の様な感じの展示で、なかなか迫力満点だ。

問題というのは、外部の曲面が切り取られ入り口になる部分で、二つの異なるシステムの曲面が出会う部分の処理だが、多くの人が通り、近づき、触れることができる部分だけに、頭をぶつけた時や手を触れたときの安全性と同時に、挙動の異なる二つの面の接点をどう処理するかということ。設計時に解決しきれておらず、最後の最後まで良い解決方法を見つけることができるずに現在に至っており、施主であるオルドス市計画局と、外装施工会社と設計であるMADの3者で頭を抱えながら最後の解決法を見つけようと躍起になっているという。

明日は現場にて、外装施工会社担当者と現場の職人さんと一緒になって、最新の解決法について設計会社としての意向を伝える必要があるという。3次曲面の建物だけに、写真や電話ではどうもニュアンスが伝わらず、結局は現場で眼で見て,Face to Faceのコミュニケーションが必要になってくる。

「そりゃそうだ」なんて言っていると、その担当プロジェクト・アーキテクトだが、明日はもう一つ現場が動いているプロジェクトの打ち合わせにどうしても出なければ行けないので、オルドスに行けないと言う。「じゃあYosukeが行きたいと言っていたから、彼に頼めばいい」とパートナーのダン・チュンに言われたという。

雲行きの怪しくなってきた内容と、これはかなりの急展開だなと頭の中でいくつかのシナリオを想定し、「一人でか?」と聞くと、「大丈夫、大丈夫」と。

なかなかハードルを上げてくるな、と思っているとすでにチケットも取ってあり、朝の6時に空港に行けば、外装施工会社の担当者も同じ飛行機だからそこで合流して、オルドス空港についたら、その担当者が車を手配していてそれで一緒に現場に行ってほしいと。

現場に着いたら、サンプルを貼ってある処理の仕方を確認し、こちらの意向に沿うように解決して、最終的な処理の仕方の確認とサンプルの再作成をしてもらいたいという。帰りの飛行機は昼の15時だと早すぎるからその次は夜の21時しかないから、いろいろ内部を見て回る時間も十分あると、すでに外堀は完全に埋められている様子。

ちょっと勘は取り戻しつつあるといいながらも、田舎で周り100%中国人の環境で、会ったことのない担当者との一人出張か・・・といくつか起こりうる問題パターンを洗い出しつつ、まぁどうにかなりそうだし、面白くなりそうだと覚悟を決める。

そんな訳で土曜日の朝5時前に起床し、まだ暗い空の下空港へと向かい、それでも混んでいる空港の中、辿り着いたゲートで前日渡された外装会社担当者の情報に電話をかけると、「どうも、どうも」とやってくる担当者。事情は分かっているようで、一応こちらの中国語が理解できるか?と確認する。

そんな訳で、機上で約一時間。辿り着く内モンゴル自治区オルドス市空港。昨今の経済発展で街のいたるところで成金バブルの香りが漂うような街である。

タクシーに相乗りで行くのだが、途中デコボコの未舗装の道をジャンプするように進み、やっと辿り着いた新都市・康巴什地区。初めてここに訪れた6年前には何もなかったはずだが、今はすっかり立派な新都心部の様相。

そこに見えてくるオルドス博物館。この風景にこのスケール感。久々に感じる建築を見たときにゾワゾワくる感じに、この風景にこのスケール感は間違っていなかったと確信。

時計を見ると、まだ午前8時。

長く暑い一日になりそうだと思いながら、入り口への階段を上りだす。







自分にとって初めては家族にとっても初めてということ


北京に戻って一ヶ月が経過した。

自分にとってもは「戻った」ことになるのだが、前回と今回では大きく異なる点が二つある。

一つは何と言っても一緒に「ついて来て」くれる家族である妻の存在。
そして二つ目は前回苦しんだ、日本人としての、そして建築家としての自分の軸。

二つ目に関しては、日本で過ごした時間によって、一回きりの自分の人生という限られた時間で、その時間を費やす対象として選ぶべきがなんなのか。また母国以外の地で生活を持つこと。それらに対して、前はちょっと悩むとかなりグラグラしていた自分の軸が随分しっかりさせることができたが、これは自分の問題。

しかし一つ目、つまり妻にとってはすべてが外からもたらされた人生の転換となっていることは間違いない。まったく接点のなかった中国という国の、北京という地で、まったく新しい日常を開始しなければいけなかったこの一ヶ月。

自分も以前同じように経験した・・・と言っても、その時の自分は少なくともそれを望んで、自らの足で向かった先だが、今回の妻にとっては夫という外的要因のよって行き着いた先となる。

そういうことを考えると、この一月の間本当に明るく陽気に楽しみながら変化に順応してくれた妻に改めて感謝だと思う。

一ヶ月の間に起こった自分にとって初めての事柄は、裏を返せば、同じ時間の別の場所では、すべて妻にとって初めての経験だったということになる。初出勤も初出張もすべて、その裏では一人で過ごす妻の初めての体験があったということに改めて気がつく。

一日、一週間、一ヶ月と結ぶべく円環の大きさが大きくなればなるほど、初が徐々に減っていくのだが、とにかく「自分にとって初めては妻にとっても初めてだ」ということを忘れずに、感謝とともに時間を過ごそうを改めて思う一ヶ月目のこどもの日。

2012年5月3日木曜日

ミネルバのフクロウは夕暮れに初めて飛び始める


先日早稲田大学芸術学校の卒業生の謝恩会にて、校長先生が最後の学生に向けて送られた言葉の中で出てきたヘーゲルのフクロウ。

「懐かしいくだりだな・・・」と思いながら、訳もわからずとにかく建築をやる上では何でかは分からないが哲学の知識も必要だと軽く洗脳されて、乱読していた学生時代を思い出す。

この早稲田大学芸術学校というのは、夕方から授業が行われる社会人学校ということもあり、ギリシャ神話の中で女神アテナがその日一日巷ではどのようなことが行われたか、情報を集めるために夜空に解き放った梟。暗いところでも良く見える眼の為にその大役を担わされる梟だが、赤い鼻の為にクリスマスの予定がこの先ずっと埋まったトナカイとなんだかだぶるのは自分だけでないはずだ。

一日の生活でさまざまな経験をして、朝よりも少しだけかもしれないが賢くなった人々の知恵をかき集め、帰ってたフクロウは確実に成長を重ねる。

そのイメージより、人の知性は夜に養われるというメタファー。

フクロウと同じく、昼間はそれぞれの仕事に汗を流し、夜になるとアテナではなく高田馬場に降り立つ学生たちは、爛々と輝かせるその瞳をギッと見開いて毎日何かを身につける。そしていつかは、ここで養った知性を抱えて、また別の森へと大きく旅立っていく。

自分もそうだったが、先生の名前や授業の内容などは、数年もしたらあっという間に忘れてしまうが、その人が放った強烈な印象を持つ言葉はどんなに年月が経とうが記憶の奥に残っているものである。

恐らく今年の卒業生も、何年経っても自分はフクロウなんだと思い出すときが来るんだろうと思いながら案外怖いフクロウの顔を想像する。

2012年5月2日水曜日

職場以外の自分の身分


2週間前から妻が通っている語学学校に満を持して通いだす。

妻もクラスに入る前に行った一対一の集中クラスで基礎の基礎の発音を見てもらう。コピーしてもらった一覧表から母音を一日、子音を一日、それの組み合わせを一日行う。

マンツーマンだけに、一つ一つ発音して、口の動きと下の位置や使う筋肉など丁寧に教えてもらい、これこそ今必要な練習だったと理解する。

もらった拼音表をオフィスに持っていって、中国人に「これは分かるのか?」と聞くと、幼稚園でやったと懐かしがる。今はもう意識してないからどれがどれとは言えないと言う。日本語でも組み合わせによって濁点がついたりみたいなものかと一人で納得。

先生の前に座って一人の生徒として口を動かしながら、「間違えた・・・」と思いながら音を探しながら、職場以外でこうしてちゃんとした身分を持ち、言い訳のできない時間を持つのはなんだかいいものだと、新しい学生生活に思いを馳せる。

2012年5月1日火曜日

アート・ベイジン

5・1の季節に開催されるアート・ベイジンというアートフェアの為にアートフェア東京のエグゼクティブ・ダイレクターを勤める友人がやって来て、数日我が家に泊まっていった。

その彼に引っ付いて、せっかくだからと我々夫婦もフェアを覗きに行くことにする。誰もチケットを持っていなかったが、会場入り口でその彼が知り合いに電話して、中から別の知り合いがチケットを持ってきてくれる。さすがアートの人たちのネットワークとフットワークは軽いなと関心する。

現代アートのブースをざっと見て回るが、各国の大使館がそれぞれの国のアーティストを紹介するブースが目新しい試みだったくらいで、一枚たりとも気になるものがなく、誰もが何を描いていいのか、何を買っていいのか、迷走している時期なんだとそんな話をしながら、サラッと全体を見て回る。

何よりも気になるのが、会場の床が鉄板を引いてその上にカーペットを引いているのだが、床がフラットでないために、歩くたびにその鉄板が音を立てて、いちいち気を削がれる。これじゃ集中してよい作品に出会おうなんていう人にとってはとんでもなく不好意思だろう。

会場を出ると、农展馆の別会場で開催されている苏州からのシルク製品の特売会に長蛇の列をつくる老人の群れに出くわして、みんな思い思いの5・1過ごし方をしているんだとなんだか感慨深く思う。