2010年4月26日月曜日

「祝祭日の研究 - 祝いを忘れた日本人へ」 産経新聞取材班 角川oneテーマ21 2001 ★★★★★






















奇数月と日が重なった日を特別の日とする、中国の重日思想。そのうちの一つ5・5の端午の節供。そしてその次に控えるのが、7・7の七夕。

「七夕」と書いて、普通に読めば「しちせき」。
それがなぜ「たなばた」 なのか?


旧暦7月7日。今の8月中旬ころ。月も上弦の季節。

天上にことさら輝くのは、こと座のベガとわし座のアルタイル。中国の呼び名は織女と牽牛。もちろん日本では、織姫と彦星の悲しいラブ・ストーリー。

古来中国では、元々夫婦であった二人が、天帝の怒りに触れ、天の川の東西に分けて住まされた話から来ているという。それが仏教伝来と共に日本に入り、日本古来の伝承と融合して現在の七夕物語に昇華されていく。

日本の古来の伝承によると、棚機女(たなばたつめ)と呼ばれる乙女がいたという。収穫を控えたこの季節、畑に神様を迎えるために、人里離れた川辺に機屋を用意し、未婚女性が神様を迎える・・・

「たなばたつめ」から「たなばた」へ。そして「しちせき」と融合し「七夕」へ。


西洋諸国と付き合うためにと、明治5年に政府が突然決定した太陰暦から太陽暦の改暦によって、大きな影響を受けた伝統文化。そして徐々に忘れ去られていく祝祭日の本来の意味合い。それを懇切丁寧に説明してくれる、今の日本に必要な一冊ではないだろうか。

今年の七夕祭りはぜひ、仙台まで足を伸ばしたいものだ。

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「国民の道徳」 西部邁
「年中行事を科学する」 永田久
「花の話」 折口信夫 
「日本の昔話」柳田国男 
「たけくらべ」 樋口一葉
「キリスト教2000年の謎」 小坂井澄
「時計の社会史」 角山栄 
「文明の海洋史観」 川勝平太 
「古都」 川端康成
「暦と日本人」 内田正男 
「じいさんばあさん」 森鷗外
「スポーツとは何か」 玉木正之 
「浮雲」 二葉亭四迷
「三四郎」 夏目漱石
「日本の祭りと大嘗祭」 真弓常忠 
「宇宙はささやく」 佐治晴男  
「文明論之概略」 福沢諭吉 
「義経」 司馬遼太郎
「陰陽五行と日本の民俗」 吉野裕子
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2010年4月24日土曜日

「紫苑の絆 上・中・下」 谷甲州 幻冬舎文庫 2006 ★★






















三寒四温というのが、ゴールデン・ウィーク前にして使う言葉だったかと頭を悩ませていた、冬の寒さが戻ってきたある日の地下鉄のプラットホーム。

「人の身体というのは、三つの首を冷やさない様にしてやればいいらしいですよ」と、横にいたサラリーマン風の人が話してた。三つの首・・・なるほどと思いジャケットの襟を立てる。


「寒い話が書きたかった」

と作者がいう様に、この話はとにかく冷える。裾から入ってくる粉雪や、凍傷寸前迄いった手先、足先に血液が再度巡った時の激しい痛み。キリキリとした痛みを伴う雪国の中にある、本当の寒さ。

終戦から戦後、ソ連・朝鮮・中国と海を挟んだ日本、それぞれの民族という様々な境界線を横断して、過去を清算し、未来を見つめる眼差し。春を願う気持ちの様に、初めの100頁を越えればあっという間に読み切れる。

2010年4月23日金曜日

「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一 講談社現代新書 2007 ★★★★



















一昨日、突然の吐気をもよおし数年振りに嘔吐をし、掌と足の裏が燃えるように熱くなってきた。熱を測ると39度近い熱があり、全身から酷い汗が。うなされなんとか夜をあけて病院に行くと、胃腸性の風邪でしょうと。最近多いからと言われ、「もしくは思い当たる食べ物は?」と聞かれ、良く良く考えると数日前にカキを食べたことを思い出す。それを口にすると、慌てて手を洗う医者。「それじゃノロウィルスですね」と・・・。

突然、容疑者Xに祭り上げられたノロウィルス。しかしあくまでも限りなく黒に近いグレーというポジション。それでは、いかに彼を真犯人にしていくか・・・

ウィルスという当時見えないモノを見ようとし、ひたすらに顕微鏡を覗き込み、海を渡り最後はその見えないモノに犯されて倒れた野口英世。最後の一歩で容疑者立件まで持ち込めずに涙を呑んだ細菌学者である。

動的平衡を失った身体をもてあます、唯一の功罪は溜まっていた本を読めることだろうか。容疑者を泳がせておくのもしゃくに障るので、盗み見の得意な20世紀のワトソン君の知恵を借りつつ、20世紀最大の事件を読み解くことにする。

しかしこれほど文章のうまい生物学者がいるものかと、ほとほと感心する美しい言葉たち。非常に高度な専門分野の内容を異分野の専門家にレベルを落とすことなく、分かりやすく伝える。そのためには、幅の広い教養と、何より美的センスが必要なのだと教えてくれる名著であろう。

海岸に落ちてる小石と貝殻。その小さな貝殻はなぜ美しいのか?そこに感じる生命の質感とはなにか?まるで茂木健一郎のような言い回しだが、生物学者ならではの観点「生命とは自己複製システムを持つこと」というA起点から事件を追っていく著者。

「この対構造が直ちに自己複製機構を示唆することを私たちは気がついていないわけではない。」

DNAの二重らせん構造を発表したワトソンとクリック、そして第三の男ウィルキンズ。そして彼らが生命の謎に挑むきっかけを与えた「生命とは何か」の著者・物理学者シュレーディンガー。そして彼の残した命題。

「原子はなぜそんなに小さいか?」

言い換えれば、

「我々の身体は原子に比べて何故そんなに大きくなければならないのか?」

そしてたどり着く一つの場所。

「全ての秩序ある現象は膨大な数の原子が一緒になって行動する場合に初めてその平均的なふるまいとして顕在化する 」

そして、マクロな現象をミクロな解像力で証明したルドルフ・シェーンハイマー。

原子を構成する陽子・中性子の数の違いの為に質量数の異なる同位体(アイソトープ) 。その重窒素の行方を追うことで生命の中の構成要素が排泄されるのではなく、ほとんど入れ替わることを立証。六田登の漫画「バロン」 に出てくる、バラバラに分解しつつ形態を残す人体のようなイメージか。生命とはダイナミックな流れである。数年ぶりに会った知り合いに「お変わりありませんね」というが、身体の中のアミノ酸レベルでは「お変わりありまくり」というわけだ。

「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」

徐々に事件の核心に迫る、ゾクゾクとする章が続く。

そこに持ち出される絵柄のないジグゾーパズル。
その周り8ピースをによって描き出される、空隙としてミッシング・ピースを特定出来る演繹の法則。

そしてトポロジー:物事を立体的に考えるセンスによって与えられる、内部の内部は外部であるというまるで建築の授業のようなテーゼ。

ノックアウトしてもノックインしても、流れは止まらない動的平衡の流れ。

「生命と環境の相互作用は一回限りの折り紙だ」という言葉でしめる作者。

キメラとしての折鶴も、不恰好に空を舞う姿からもたらされるクオリアは、きっと等しい生命の輝きをもたらすのだろう。

ラホイアのルイス・カーン設計・ソーク生物研究所の空へのファサードの上、その人生の最後を脳の研究に費やしたクリックに出会った著者。 敬意を示して何も声をかけることはしなかったというが、同じように恐らく日本の名建築に出没すると思われる著者を見かけたら、ワトソン君ばりに、こっそり盗み見をしてみたいものだ。
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「マリス博士の奇想天外な人生」キャリー・マリス
「そんなバカな!遺伝子と神について」竹内久美子
「二重らせん」ジェームズ・ワトソン
「熱き探求の日々」フランシス・クリック
「二重らせん 第三の男」モーリス・ウィルキンズ
「バロン」 六田登
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2010年4月22日木曜日

「堂々たる政治」 与謝野馨 新潮新書 2008 ★






















端午の節供を前に、また一つ幟があがった。今度は舛添の家紋入りらしい。

町人があげる鯉のぼりはトンと見かけなくなったが、今年のこどもの日は夏の政局をのぼり切ろうとする、勢いの良い政治家の幟が大量にはためく様子になりそうだ。

そんな幟を一番初めに掲げたこの人、与謝野馨。同時代の政治家に最も頭の良い政治家と持ち上げられる人の世界観とは?と思って読んでみた。

確かに珍しい名前だとは思っていたが、あの歌人与謝野鉄幹・晶子の孫にあたるとは露知らず。文人の家系に属する人ならきっと文章もセンスがあるだろうと思っていたが・・・

晶子の和歌

「劫初(ごうしょ)より 作りいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ」

つまり

「和歌の世界に何か価値のあるものを打ちたい」

という歌の「和歌」を「政治」に置き換えた心情での新党旗揚げなのだろうが、いかんせん

「役人は法律に基づいて考える。それではどうにもならない時に政治の出番。」

とは言うものの、求める天下国家の姿が見えて来ない。

出征する弟へ向けた昌子の歌

「君死にたまふことなかれ」

に背中を押された「たちあがれ日本」の見つめる先の温かさと改革とは・・・。

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「磁力と重力の発見」山本義隆
「カインの末裔」有島武郎
量子力学 マックス・プランク
「ジョゼフ・フーシェ ある政治的人間の肖像」シュテファン・ツヴァイク
「波乱の時代」グリーンスパン
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2010年4月20日火曜日

「小沢一郎入門 カリスマの原点ー小沢一郎は何を考えているのか」 森田実 地的生き方文庫 2006 ★★★



















「変わらずに生き残るには、自ら変わらなければならない」

2006年、音羽の鳩山会館の桜の下、来る民主党代表選を前にして、
管氏に大勝し党を割る事なく一致団結する為に出馬を決めた小沢一郎。

「脱皮できない蛇は滅びる」 - ニーチェ

過去30年の日本の政治史。常に中心に存在し、
田中角栄・竹下登・金丸信という政界のドンに愛し、憎まれ、
壊しては創り、また壊して脱皮を繰り返す政治家・小沢一郎。

1969 27歳、地元岩手でトップ当選
1976 ロッキード社の航空機売り込みによって、オヤジ・角栄逮捕
1985 竹下登と創政会設立により田中派分裂
1987 小沢 竹下 金丸信副総裁と経世会(竹下派) 45歳 官房副長官
1989 竹下内閣が1年半で崩壊し、海部俊樹首相のもと47歳にして自民党史上最年少幹事長になる
1993 経世会のドン・金丸信会長が佐川急便 5億円ヤミ献金事件により辞職、リクルート事件のあおりをうけて宮沢喜一内閣への不信任案により、解散。そして渡部・羽田・奥田らと離党。新生党を設立し細川内閣へ。
1994 12月 新進党結党
1999 公明党参加した自自公政権で与党に
2002 民主党からの条件を全て受け入れ、民主党と自由党による民由合併
2005 小泉による郵政解散選挙の大敗。それを受けての前原代表辞任
そして管直人との代表選

西松建設疑惑での、代表辞任とその後の衆議院選挙での悲願の政権交代。
盟友鳩山首相からの要請で幹事長就任で、すったもんだの末に迎える参議院選挙。

「大事を前にして不気味なほど冷静になれる男は本物だ」という小沢一郎。

新党が乱立する2010年の桜の下。
不気味なほどの冷静さで小沢が次に思い描くのは、
どんなドラマだろうか楽しみだ。


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アリストテレス 「ニコマコス倫理学」
マックス・ウェーバー「職業としての政治」
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2010年4月19日月曜日

「ポンペイ展」 横浜市美術館 ★★

およそ2000年前の西暦79年、突然ヴェスヴィオ火山が噴火し、 ポンペイの町は火山灰に埋もれた。ゲーテが「人類史上唯一歓迎すべき天災」と語ったように、発掘された遺跡では、火山灰に埋もれ当時の様子がかなり鮮明に分かる状態で見つかる。

噴きあがる火山を見つめた当時のポンペイ市民一万人は、現在ほどの科学的根拠もなく、恐らく「これは神の怒りだろう・・・」と思いながら、真っ黒に染まる空を見上げ、3守護神ウェニス・ヘルクレス・ディオニュソスに最後の祈りを捧げたのだろうと思いながら、展示される品々を見てきた。

丹下健三の設計ということもあり、ダリの彫刻に見つめられる段上のエントランス・ホールからゆったりとした各展示が展開される。空間が良いからそんなに疲労を感じることなく見ることが出来る。

同じギリシャ神話のエウロペの名からとられた、2000年後のヨーロッパ。

アイスランドの火山噴火でベルギーに行っているパートナーから、電車でイタリアに移動する羽目になったよ・・・とのSMSが届く。

一つの町が灰に埋もれることはないだろうが、空の交通網を断たれた人類が見上げる空に、2000年前のポンペイの空を重ねずにいられない。

2010年4月16日金曜日

Arquitectum建築国際コンペティション

この三月に非常勤講師をさせていただいている早稲田大学芸術学校と、世界中で建築のコンペティションを行っている組織・Arquitectumが共同で行った建築国際コンペティション・TOKYO 2010の審査員をやらせていただき、喧々諤々の議論の上、入賞作品を決めてきたのだが、その表彰式が本日早稲田大学理工学部にて本日行われる。

コンペの内容は、表参道のプラダ・ビルの向かいに、日本のファッションの殿堂となるべく、ファッション美術館を100Mの高層建築として提案するというもので、計508組のエントリーの中から入賞3組、佳作9組を選ぶ作業を2日間みっちり時間をかけて行った。

審査員は、早稲田大学芸術学校校長の鈴木了二教授。同じく早稲田大学芸術学校の教務主任であられる赤坂喜顕教授。早稲田大学で助教授をされてるオーストラリア人の ジュリアン・ウォラル氏。東大で研究員をされてるフランソワ氏。そして私の計五名の建築家。

求められたのは各年代ごとの展示空間と、ランドマークとしての建築言語。

編む、ねじる、裁断する、縫う、ひねる、のばす・・・などのファッションにおけるデザイン言語を建築に還元するとどのような空間に置き換えられるか?そんなところを狙ってくるものがもっと多いかと思ったが、意外と直裁な案が多かった気がする。

また、与えられた100Mの高層タワーというヴォリュームに対して、要求された機能空間のヴォリュームを比べると、かなりスペースに余裕ができる。そのヴォイドをどうやって、内部のパブリック空間と外部と都市に対して還元できるのか?

そして、用途地域制限で決して法規的には成立しない、高さの規制が外れたという条件において、表参道の流れを受ける、ジョン・ナッシュのオール・ソウルズ教会的なアイキャッチとしてのランドマーク性を日本らしさを纏いながらどうデザインに昇華させるか。

みゆき通りという表参道からいきなり幅員の減る街路に対しての、下層部のファサード性を考慮したポーディアム・レベルの考え方、そして、ありえない上層部として、タワーの4面性としての構成の変化。

様々な条件のもとに、ファッションの空間としてどのような提案ができるか、また高層ビルの美術館として、新しい建築の構成およびデザインをどう考えるか、そこを基準にエントリー作品を見させてもらったのだが、1等を受賞した作品のみが、意識的かどうかは分からないが、上記の問題にまっすぐに向き合っていたように思える。

一等に選ばれた、韓国・日本の建築家チームが表彰式に招待されているので、実際どのように考えていたのか、じっくり聞いて来たいと思う。

コンペの詳細については以下のホームページより。
Arquitectum
http://www.arquitectum.com/index.php

また、展覧会は早稲田大学理工学部において、入賞作品等の展示が行われているので、興味がある人はぜひ。
早稲田大学芸術学校
http://www.waseda-aaschool.jp/2010/index2.html


2010年4月15日木曜日

散る桜 残る桜も 散る桜

江戸時代の僧侶であり歌人であった良寛の辞世の句。どんな生命も等しくいつかは死を迎える運命を秘めており、満開の桜と散りゆく桜に生と死の対比を感じ取ることにより、いっそうの生命の輝きを感じるという主旨で、神風特攻隊の話でも必ず引用される句である。

今年もあっという間に桜が散ってしまった。そんな姿を見て、建築家の友人となぜ桜は葉よりも花が先に咲くのだろうかと話をしていた。

桜は接木をして育てるから、受粉しなくてよいのでは?なんて盛り上がり、それなら自身のクローンを作ってるってことなのか?それならクラゲと同じオートポイエーシス的な生態系を持っているのでは?では、なぜあんな綺麗な色をつけるのかと盛り上がっていたので、調べてみると、まったく違った・・・・

基本的には花が葉の前に咲くもの、花が葉と同時に咲くもの、花が葉の後に咲くものと分類され、それぞれ花粉を風で運ばせる風媒花のもの、花粉を虫で運ばせる虫媒体のもの、その両方で分かれて、葉が無いほうが風に乗って遠くまで飛ばせる、多く葉があるほうが鳥などから昆虫を守りやすく虫の身体に花粉をよく付けれる、との理由らしい。

ソメイヨシノは江戸時代に観賞用として品種改良されたからだという説明もあったが、やはり自然の微妙なバランスの中で、その生態を決定していったという説に一票を入れたい。

散る桜 残る桜も 散る桜

読み替えると、如何に人生の花を咲かせることが大事かということになる。
ミツバチを惑わせる美しい花を咲かせて、様々な文化を開かせる、そんな春が待ち遠しい。

2010年4月14日水曜日

ミツバチ

数週間前の日経の春秋に、芥川賞を受賞したの中国人作家楊逸さんの話が載っていた。

まったく言葉の分からない日本に来て、小説を書き続け、ついに芥川賞まで受賞した彼女は自分のことを「私はミツバチみたいなものです。知らない場所にいっては、身体中にいろんな花粉をつけて、様々な花を受粉させる。文化も同じようなもので、人は一箇所にとどまっていても、なかなか新しい花は咲かない。いろんな場所を動き回り、様々な物に出会い、刺激を受けて、新しい考えを発展させることが出来る。」そんな主旨だったと思う。

先週末、北京で活躍する日本人建築家の友人が中国の女性と結婚したので、東京でも披露宴をするからといい、その会に顔を出させていただいた。

日本人の新郎が中国の正装で、中国人の新婦が着物で登場し、北京で行った中国式の結婚式をスライドを使って紹介してくれた。

まず、朝に自分のベッドの上でドレスを来て待つ新婦。そこに友達と一緒に向かう新郎。新婦の家族がなかなか開けてくれない扉に向かって、新郎の友人が「こいつはいい奴だから開けてあげてください」と何度もいうと、徐々に開く扉。その隙間に紅包(ホンバオ)という、御祝儀袋を投げ込むという。やっと空いた扉から入った新郎は、新婦の待つ部屋に向かい、結婚の申し込みをする。承諾を受けると、今度は娘を家から出したくない家族が隠す新婦の靴を家中探すことになる。やっと見つけた靴の底に、裕福になるという願いを込めて、お札を敷いて新婦に履かせ、ご両親への挨拶。御両親からの承諾を受けてやっと、車で披露宴の会場へ向かうことが出来る。

という感じで、中国に住んでいても、なかなか触れることの無い習慣をとても分かりやすく、そして幸せそうに話していた。

この二人もいろんな場所を一緒にめぐって、いろんな経験という花粉をつけるミツバチなんだなと、なんだか嬉しくなってきた。




2010年4月12日月曜日

伊勢丹グローバル・グリーン

5月のGW明けから一ヶ月、伊勢丹新宿店のディスプレイ全面をフルにを使って行う、「グローバル・グリーン」プロジェクト。「グリーン」というキーワードを元に、200年後の世界がどのようになっているのかを、フラワー・アーティストの東信さんと、ロボット・デザイナーのフラワーロボティクス・松井龍哉さんと我々MADが一緒になって、植物の持つ様々な特性を拡張し、人間の生活が植物を媒介させどのように変化するのか、とてつもなく大きなスケールでの未来の設計という企画である。
旧約聖書の『バベルの塔』、
ピラネージの『ローマの景観』、
ルドゥーの『ショーの理想都市』、
サンテリアの『未来派』、
ブルーノ・タウトの『アルプス建築』、
バックミンスター・フラーの『フラードーム』、
アーキグラムの『フプラグイン・シティ』、
スーパースタジオの『コンティニュアス・モニュメント』、
磯崎新の『廃墟』、
大坂万博の『お祭り広場』、
菊竹清訓・黒川紀章の『メタボリズム』、
藤子・F・不二雄の『ドラえもん』、
手塚治虫の『鉄腕アトム』、
石ノ森章太郎の『サイボーグ009』、
大友克洋の『AKIRA』、
安彦良和の『機動戦士ガンダム』、
松本零士の『銀河鉄道999』、
士郎正宗の『攻殻機動隊』、
庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』、
タルコフスキーの『惑星ソラリス』、
ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』、
フリッツ・ラングの『メトロポリス』、
キューブリックの『2001年宇宙の旅』、
ジャン=ピエール・ジュネの『ロスト・チルドレン』、
ピエール・ブールの『猿の惑星』、
スピルバーグの『マイノリティ・リポート』、
アレックス・プロヤスの『アイ,ロボット』、
宮崎駿の『ハウルの動く城』、
ピクサーの『WALLE』、
ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』、
リドリー・スコットの『エイリアン』『ブレードランナー』『アバター』、・・・
建築・映像・漫画・幻想関わらず、時にピカピカとしたテクノロジーに囲まれて、時に汚れた機械として、時に粘性をもったドロドロとした姿で、時に温かい自然に囲まれて、未来は人類の前に多くの希望と少なからぬ絶望として何度も何度も繰り返し姿を変えて現れる。
古代ローマのパンテオンを再建したローマ皇帝ハドリアヌス、当時最先端の宋の建築様式を採用し東大寺南大門を建造した重源、13世紀・ケルンに建ち上がりつつあった大聖堂を見上げた市民達、明治の浅草で凌雲閣から東京を見下ろした作家達、アームストロングのアポロ11号の月からの映像に魅入られた世界中の人々。彼らが心の中で見ていたものは、間違いなく希望に満ちた明るい未来であり、明日の人類がいて欲しい世界であったはずだ。
グローバリゼーションという言葉すら古臭く感じるようになった縮小したこの世界において、それでも子供も大人もワクワクできるような、新しい未来のヴィジョンを「効率化するテクノロジー」としてではなく、「拡張する身体のインターフェイス」としてのグリーンという断面で切ることによって、本気で考えてみたこのプロジェクト。
5月の新宿伊勢丹前で、ぜひ足をとめてもらい、ワクワクしてもらえれば幸いです。

古代ローマの建築家たち

建物と共に建築家の名前が示されるようになったルネサンス時期が、建築家の職能が確立された起源だと言われるが、もちろんそれ以前にも「黒のトイフェル」にも登場するような、想像力と技能を持った建設現場を指揮する建築家が古代ローマにもいたはずだという想いと共に、長年に渡って古代ローマの建築物の研究をし、綿密なリサーチの元に、どの建築家がどの建物を手がけ、どのような設計手法をとっているか、その積年の成果をまとめ、「古代ローマの建築家たち」(丸善)に纏められた、尊敬する建築家の一人・板屋リョク先生。非常勤講師をさせていただいる早稲田芸術学校で、一緒に授業を持たせていただいて既に3年になるが、今年も一回目の授業ということで、本にも書かれた「パレストリーナ」の話を聞かせて頂いた。

パレストリーナはイタリア・ローマ郊外の都市で、大戦時の連合軍による数ヶ月に及ぶ空爆によって、表層部に建てられていた当時の街が全て取り除かれたその下に、歴史家も分からない大規模な遺跡が発見された。それを調べると、キリスト教がヨーロッパに広まる前に信仰されていた、水を崇拝する宗教の神殿だったことが分かったという。

街のスライドと共に、全体を構成する力線を説明されて、丘の上からの風景を「この場所からの風景を眺めた人の心の中に湧き上がる感情は、今も2000年前も恐らくそんなには変わらないと僕は思うんです。」と言われる板屋先生の言葉を聞きながら、また新しい季節がやってきたんだと、そしてもっと建築を学びたいという想いに駆られる。

板屋先生のローマの2000年と同じように、自分にとっては中国2000年の歴史を自分の眼差しを通して語れるようになるのが、恐らく自分自身の建築家としてのライフワークになるんだろうと改めて思わずにはいられない。

2010年4月9日金曜日

新学期

桜が散りはじめるのと時を同じくし、様々な場所でも新しいメンバーと共に新年度が幕をあける。

昨年から非常勤で講師をさせていただいている東京大学建築学部環境系の前研究室でのゼミも、今年のゼミ方針を決めるために講師会が行われた。昨年から一緒に学生を見させてもらっている前先生を筆頭に、日建設計の設計主管をされてる羽鳥さん、同じく日建設計の川島さん、ランドスケープ・プラスの平賀さん、レビ設計室の中川さんと、仲良くさせていただいているメンバーと久々に顔を合わせる。

昨年は、「環境」というキーワードで本当に正しい設計なのか?ということすらブラック・ボックスに隠してしまうデウス・エクス・マキナ的な免罪符から環境建築を解放しようという意図を込めて、「脱環境建築」というテーマで授業を進め、かなりの混乱を学生達に与えながらも、ゼミを受講した学生が辰野金吾賞を受賞し、更にコンドル賞という日本の近代建築の父・ジョサイア・コンドル博士に因んだ賞も受賞したこともあり、環境系を更に盛り上げようと意気込んでの今年の講師会。ちなみにコンドル賞を受賞した学生には、東大から奨学金が出て、海外の設計事務所に研修にいけるというシステムなのだが、その学生の希望もあり、我々MADの北京事務所での受け入れとなったのだが、こういう熱意を持って海を渡る学生がもっと増えることに繋がればと思う。

そこで今年は、スケールダウンし「住宅」とういフレームの中で再度「環境建築」を考えるという方針になった。というのは、一昨年度の補正予算によって進められた、環境省エコハウス事業を手がけられた日本建築家協会・環境行動ラボの方々も今年は講師として参加していただき、モデル事業である、全国の20地域のエコハウスを見学し、設計者や施工業者への取材を通して、自分の身体で「環境建築」を感じ、設計にフィードバックするという、極めて王道的なテーマとなっている。ちなみにエコハウス事業は全国様々な行政に手を上げてもらい、「環境性」「省エネ性」「ライフスタイル」というテーマで選定を行い、地方に開いた事業を「環境建築」の手法で行うというもので、以下のホームページで詳細が見れる。

http://www.env.go.jp/policy/ecohouse/index.html

冬場の太陽光のありがたさや、夏場の台風前の風の強さなど、そこでの生活が身体に入ってないと分からない微気候をどう設計で解決するか、それは外部からくる設計者にとっての永遠の課題なのだが、その解決につながるインターフェイスとして、このような気候別の地域区分に広がる設計者・施工者・行政のネットワークが受け皿となり、アーキ・ログを増やしていくことが、本当の意味での環境建築の普及に繋がるんだろうと、夜の赤門をくぐりながら考える。

2010年4月4日日曜日

ラジコ・ラジカ・ラジオのススメ

「若者の○○離れ」の一つ、TV離れの生活をしてると、世の中の情報に触れるのは基本的に新聞・ネット・雑誌・ブログ・ポッドキャストそしてラジオということになる。そんななかで行われた春のセンバツ決勝・日大三対興南。ネットラジオでライブ放送するだろうと高を括っていると、ネットラジオでは放映してないことが発覚し、旧式の黒ラジオを引っ張り出し、100均で単三電池を買い込み、雑音のなかで594にチューニング。なんとか3回裏から聴く事はできたが、これはまずいと対策を考えた。

最近TBSポッドキャストでやたら告知をしている、radiko.jp。ラジオの電波の入りにくい地域を対象として、ネットでもFM/AMを聴けるようにと、TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送・J-WAVETOKYO FMなどが共同に立ち上げたサイトで、あくまでも試験段階ということだが、首都圏4県では全ての番組がネット経由でラジオと同時に聴けてしまうというサービス。

昨年夏ごろからポッドキャストのTBS JUNKにはまっていたので、どうにか本放送を聞く方法はないかとあれこれ手を尽くしたが、結局ネットと電波の境界線に打ちのめされていたここ数ヶ月だったので、各ラジオ局の英断に拍手。

これで、受験時代懐かしのオールナイトニッポンが聴けるのかと嬉々としてるが、今度はライブ放送というのがネックになってくる。なかなか毎週深夜1時にネットに繋がる環境を確保するのは厳しいと、あれこれネットを検索すると、さすがはデジタル時代というわけで、早速radiko.jp の番組をFLV形式で録音できるRadikaというフリーソフトが開発されていた。素晴らしいとしかいいようがない。

早速録音してみて、FLV Playerをダウンロードして視聴。音質も問題なしだが、人の欲とは際限ないもので今度はiPhoneでのモビリティに対応できないかとどうにかflv形式からmp3形式への変換を試行錯誤。

まずはSplitFLVを試すが、どうもうまくいかず、今度はHash FLVtoMP3Converterを試すが、m4a形式になるものの、なぜかiTunesに認識されず、たどり着いたのはHugFlash。設定を何度かいじると、問題なくmp3形式に変換終了。

これで、不動の4番・伊集院とナイナイを軸に、4月の改編で戦力ダウンの感がいなめないオールナイト軍に対して、どこからでも点の取れそうなJUNKチームがどのような試合展開を繰り広げてくれるか楽しみな桜の季節。

WEBWAVEの脱境界。ラジコ・ラジカ・ラジオのススメ。ぜひ。